がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

集落と街並

白河だるま市2023

毎年2月11日に開催される白河だるま市。コロナの影響で中止を余儀なくされていただるま市が3年ぶりに開催された。前日は雪で電車で行くことも考えたが、道路も乾いて安全に白河入りすることが出来た。 白河だるま市は旧市街奥州街道の白河宿内の目抜き通り…

熊川の洗い越し

台風や豪雨のあとの通行止め情報に出てくる「熊川の洗い越し」を観てきた。高林街道の東北道の陸橋付近。 東北道上りの側道を南に。陸橋をくぐると舗装路が終わり砂利道になる。堤防の手前に洪水時の制止線を張る支柱があった。堤防の丘を越えるとそこは・・…

蛇尾川の洗い越しと渡渉点

那須野ヶ原は那須連山から流れる河川が作り出した複合扇状地である。その中央部に流れる蛇尾川(さびがわ、じゃびがわ)と熊川(くまがわ)の中流部は水無川で、水流は地中を流れている伏流水となっている。下流に向かうにつれ、堆積物が大きい石から細かい…

大山田、須佐木の映画館 河原坊劇場と山形屋

常設館ではないが、八溝山麓の劇場を紹介する。黒羽東毛座について当時スタッフだった方からお話を伺ったとき、東毛座と「掛け持ち」での上映を行なっていたと教えてもらった、那珂川町大山田上郷の河原坊地区にある劇場の場所を観に行った。掛け持ちとは、1…

馬頭の映画館 馬頭新興館と馬頭クラブ

栃木県大日本職業別明細図 T14(1925) 栃木県大日本職業別明細図 S12(1937) 馬頭時報S26(1951)07創刊号 広告 昭和30年代、馬頭地区にあった映画館は、新町下の新興座と荒町の馬頭クラブの2館だ。新興館 馬頭町馬頭462、463、464 現住所:那珂川町馬頭464-1 …

烏山の映画館 烏山アサヒ座と烏山平和館、烏山映画劇場

栃木県大日本職業別明細図 T14(1925) 栃木県大日本職業別明細図 S12(1937)昭和30年代、烏山地区にあった映画館は、鍛冶町のアサヒ座と、金井町の平和館、泉町の烏山映画劇場の3館だ。烏山アサヒ座烏山町102 現住所:那須烏山市中央2丁目3-15 木造一階-二階建…

小川グランドボウル看板解体

小川グランドボウル 栃木県那須郡那珂川町小川782 昭和47年(1972)年5月オープン 長らく市民に愛されてきた娯楽の殿堂小川グランドボウルは、平成23年(2011)の東日本大震災の影響で閉鎖されていた。

宇都宮市内の銭湯

宇都宮市内銭湯ガイド タウン誌うつのみや 1973初夏号よりたまに大きい湯船のお風呂に入りたくなる。家の内風呂では得られぬ爽快感、芸術的な壁画、カコーンと響くお風呂エコー、裸同士の解放感から気さくに話しかけてくるおっちゃんたち。最近ではスーパー…

茂木文化映画劇場

明治中期 日清戦争の頃、日本で景気がいい地域は「鎮台の安芸広島か、たばこの野州茂木か」と言われた時代があったという。大本営が置かれ戦争特需に沸く広島と並ぶくらいに、たばこの一大生産地であり製造が盛んな茂木が栄華を極めた時代があったというのだ…

旧須藤郵便局@茂木町千本

R294茂木ルートで茨城に入るとき、いつも気になるあの建物。ちょっと写真撮っておこうと思って途中下車。近くでしゃがんでたばあちゃんに尋ねると郵便局だという。 茂木町千本の旧須藤郵便局。丸窓に色ガラス、凝灰岩のブロックで作られた雰囲気のある建物…

黒磯の映画館 寶来座と金剛館

栃木県大日本職業別明細図 S12(1937) ちなみに栃木県大日本職業別明細図 T14(1925)のほうには黒磯町の市街図の紹介はない。栃木県営業便覧M40(1907)にも掲載はあるし何故なのだろうか。広告が充分に集まらなかったとか?黒磯駅周辺は明治19年に黒磯駅が出来…

黒磯東館@東那須野

かつて、東那須野駅の東口に「東館」という映画館があった。「1955映画年鑑 付録 全国映画館総覧」によると住所は東那須野村大原間394、現在の住所だと那須塩原市大原間394となる。那須塩原駅の西口、県道東那須野停車場線から少し入った場所だ。 臼井薬局さ…

1955年(S30年)の栃木県の映画館

ここのところずっと県北の各集落にあった映画館について調べている。 テレビの普及以前、どんな小さな集落にも一つぐらい映画館があった。それらの映画館の存在した期間や場所を調べるために、国会図書館や県図で当時の映画館名簿を閲覧コピーしまくったんだ…

石田屋@氏家 のたいやきを食す

さむくなってくると温かい甘いものが食べたくなる。氏家に来たらやはり石田屋のたいやき。10月から4月までの限定で販売してる。この店構えを観てくれ同志よ。 石田屋は明治初期から菓子店を営む老舗。石田屋のたいやきは氏家の冬の風物詩である。たいやき…

黒羽の映画館 黒羽東毛座と黒羽東宝

昭和30年代、黒羽地区にあった映画館は、黒羽向町の東毛座と、黒羽田町の黒羽東宝の2館だ。当初は東毛座が邦画、黒羽東宝が洋、邦画系を上映する映画館だった。すでにその面影はないというが現地を確認しに行ってきた。 東毛座(とうもうざ)川西町321 / 黒…

本宮宿南 追分の道標@本宮市

奥州街道沿い本宮宿南町の追分 劇場から数十m隔てて旧奥州街道が通る かつて本宮宿は奥州街道と会津道、三春道 相馬道が交差する交通の要衝で この付近では屈指の賑わいを見せた 飯盛女もかなりの数がいて遊廓も存在した 鉄道の機関区設置を郡山に譲ったた…

本宮映画劇場@福島県本宮市

福島県本宮市のアサヒビールの工場見学に行った。そのついでといってはなんなのだが、市内にある本宮映画劇場の見学を予定にねじこんだ。 旧奥州街道沿いメインストリートにある銀行の駐車場に車を止める。その裏手 路地を入ったところに目的の建物は立って…

金魚湯こと玉川の湯@栃木市室町

栃木市室町、明治22年創業の銭湯。 屋号は「玉川の湯」だが、壁に埋め込んだ水槽の金魚が名物で「金魚湯」の名のほうが有名に。 このたたずまい、よくぞ残っててくれた!! 木札の下駄箱に靴を入れて中へ お昼時で先客はひとり。おかみさんにお願いして中の…

昔の金灯籠付近のはなし

与一まつり始まる前、金燈籠付近散策してきたんだが、正法寺境内のお稲荷さん気になって手洗石の寄贈者名とか確認してたら境内であった方から貴重な情報が。正法寺門前にあった元下駄屋(M履物店)の建物を解体する際に建物の作りを見せてもらったら、入り口入…

郡山の夜、はしご呑み

国道4号線の東側に平行してはしる県道355号線(本町通り、中央通り、大町通り)がかつての奥州街道(仙台道)の道筋だ。郡山宿は安積国造神社参道をはさんで上町と下町に分かれた宿場で10町の長さがあった。道筋は明治期にそのまま陸羽街道になったので枡形…

与一まつり2013

屋台のイカ焼きが食べたくて大田原の与一まつりに行って来た。なんだかんだ言っても、県北でいちばん集客のある夏祭り。流し踊りの喧騒に、いろいろ昔のことを思い出した。西那須野のふれあいまつりは毎年雨に祟られている印象がある。終盤に河川敷で花火大…

大正十一年の防火週間

大田原にあった「時の鐘」の塔がデザインされたポスター大正11年、栃木県各管内の消防署が「防火週間」を通じて一般市民に防火意識をPRする活動を行った。「吾が防火週間」はその活動報告書で、趣向を凝らした当時のPR活動の様子を知ることが出来る。今…

元湯千軒の記憶

平安時代から湯治客で賑わい「元湯千軒」と呼ばれた塩原元湯。寛永年間の湯本塩原は48軒の農家兼宿屋と8箇所の湯屋があった。邯鄲(かんたん)の湯、梶原の湯、帯刀(たてのき)湯から引湯した橋本の湯、御所の湯、川原の湯、中の湯、姥の湯である。慶長16年…

ミツマタの群生地@棚橋入会山

なためさんのブログで教えていただいた伊王野にあるミツマタの群生地を観に行く。伊王野の市街を過ぎ坂本から県道28号に入る。大和須から棚橋を通るこの道は不通県道の探索に一度入ったことがある。坂本入口には大正元年の道標が建っており、「八溝山上野宮…

那須之漬

昭和初期の写真集「那須野写真帖」を見ていたら、以前から興味があった「那須之漬」の広告が載っていた。「那須野写真帖」というのは大田原町の写真館が作製したものらしく、奥付近くに大田原町内の名物紹介みたいなコーナーがある。 昔時、九尾の狐の住みし…

泉光院、那須野を彷徨う

「日本九峰修行日記」で泉光院野田成亮が辿った道のりをちょっと紹介。会津若松から那須野に入るあたりの日記。文化13年のリアル。 廿八日 晴天。荒井村立、辰の上刻。即時会津城下へ出づ、御城平地、角楼三つ天守の如く見ゆ、追手東向、廓広し、町東北にあ…

南天堂@本郷白山上

以前から「南天堂」とその時代に興味があった。取っ掛かりは辻潤とその思想・著作。この自由な発想、ユーモアあふれるエッセイが書かれたその背景に興味を持つうち、伊藤野枝、大杉栄、林芙美子とその周辺の書籍を読み漁る。寺島珠雄の「南天堂 松岡虎王麿の…

蔵の街栃木

栃木市の秋まつりに行ってきた。 子供らと行ったので、本番前の街並をぶらぶらしただけだったのだが、それなりに雰囲気は楽しめた。メインは屋台の食べ物と街歩き。例幣使街道の宿駅として、また巴波川舟運の河岸があり物流の集散地として栄えた栃木宿には、…

鍋掛宿・越堀宿を歩く

那須野が原博物館の企画展「じっくり地図をみる」の企画見学会「昔の地図を持って奥州道中を歩く」に参加してきた。「奥州道中分間延絵図」を見ながら、鍋掛宿・越堀宿のエリアの史跡を見て歩く集い。講師は県の歴史の道事業にも関わっている松本氏。 まずは…

大田原仲町の銭湯

年末に教授を囲む忘年会があった。場所はいつもの「司」。集合時間より早めに親不孝に行って街を散策。「乃ん喜」の以前あった場所を確認してみた。大橋酒店脇から入る路地、というか軒脇は今も健在だった。ただ現在はあちこち更地になり駐車場となっている…