がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

馬頭の映画館 馬頭新興館と馬頭クラブ

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栃木県大日本職業別明細図 T14(1925)

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栃木県大日本職業別明細図 S12(1937)

f:id:gari2:20210226211339j:plain馬頭時報S26(1951)07創刊号 広告

 

昭和30年代、馬頭地区にあった映画館は、新町下の新興座と荒町の馬頭クラブの2館だ。

新興館
馬頭町馬頭462、463、464 現住所:那珂川町馬頭464-1
木造二階建 220-480席
開業1941年7月 1964年までは確認 

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新興館があった路地の入口。東芝ストアの青木電機にベータマックスの看板が現役。

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現在は白寄病院が建つこの敷地内に新興館はあったという。経営者は小川映画劇場と同じ井上兼世氏。邦画を中心に上映していた。映画年鑑による小川映画劇場と新興館の年ごとの系統の表記がほぼ同一なので「掛け持ち」での上映を行なっていたと思われる。掛け持ちとは、1本のフィルムを複数の劇場で使用することで、劇場間をオートバイや自転車でフィルムを運び、同じプログラムを複数館で上映した。

白寄病院は、馬頭町の町長を3期務め2020年に亡くなられた故白寄暹(すすむ)氏の経営していた病院だ。幼少の頃ご近所にお住まいだったthoughtmayさん情報によると、かつては白寄家の広い芝生の庭があり(画像左手付近か?)そこが映画館の建っていた場所だと言われていたそうだ。


f:id:gari2:20210226212233j:plain馬頭新聞S39(1964)3月号 馬頭新聞にみられる新興館の最後の広告 「なお三十一日は小川映画劇場で上映致します」とある。


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松井天山の「栃木縣馬頭町真景」T13(1924)をみると、新興館があった場所に「共栄座」と書かれた建物が描かれている。名前からして劇場のようだが、果たして新興館との関係は?共栄座の建物を利用して新興館を営業した可能性も出てくる。

 

馬頭クラブ
馬頭町荒町105 現住所:那珂川町馬頭110
木造一階建-二階建表記に 240-350席
創業1949年10月 1963年までは確認

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馬頭クラブは乾徳寺の参道沿いにあった。左側は広重美術館の駐車場になっている。

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馬頭新聞S37(1962)10月号 馬頭新聞にみられる馬頭クラブの最後の広告


新興館で情報を頂いたthoughtmayさんによると、かつてこの付近に公民館のような建物があり、そこで剣道を習っていたそうだ。板張りの床はかなり傷んでいて、山火事の話をしながらガムテープで床の修繕をした記憶があるそうだ。山火事というのは昭和52年(1977)3月に旧黒羽町から旧馬頭町の山林で3日間燃え続けた那須林野火災のことだ。

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thoughtmayさんから頂いた資料「広報ばとう」の昭和45年8月号の表紙から。剣道スポーツ少年団の活動を伝える写真である。建物の中ほどで天井の高さが変わるのか、間仕切りのような壁が存在している。側面の飛び出しが遠近感にしては急角度な感じで、天井が弧を描いているようにもみえる。

 

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同 昭和46年8月号より

記事ではこの建物を「町民会館」と呼んでいる。thoughtmayさんによると、いろんな催しものを行なったり集会所としての機能もあったようで、現在那珂川町役場の建つ場所に山村開発センター(昭和48年12月)が建ってからはその役割を終えたようだ。

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同 昭和48年8月号より

「町民会館」には2階に桟敷があり、螺旋階段を上がり2階に上がる構造だったという。赤マルで囲った部分に少し桟敷が写っているとのこと。1階は板張りで縁の下があり、建物入口は言われてみれば劇場風なつくりだったそうだ。thoughtmayさんはここで町の催しの映画を観た記憶があるとのこと。

馬頭クラブは映画館としての役割を終えたあと、1階を板張りにし町民会館として利用されていたようだ。それは1970年代後半まで残っていたのだ。2階桟敷が残っていたというのも驚きだ。ある程度の規模の映画館であれば、スクリーンや舞台に向かって傾斜がつけられていたと思うが、床を水平にする目的もあって板張りに作り直したのかもしれない。

馬頭クラブが常設館としての営業をやめたあと、黒羽東毛座は馬頭クラブの施設を借りて上映を行なったことがあるとのことだった。以下の記事中を参照のこと。

garitune.hatenablog.jp


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