がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

会津中街道 湯川渡河点から乙女の滝を歩く

会津中街道の復路。前回は大峠まで来たので、今回は大峠から三斗小屋宿跡の予定であったが、三斗小屋宿から大峠の間の旧道はかなり荒れており、藪に覆われつつあるという。そもそも沢登りをする人々にとってはポピュラーなルートらしく、まったく忘れ去られ…

初体験きのこ

沼っ原から麦飯坂~湯川の往復の行程で採取したきのこ。といっても、なためさんのみつけたきのこを取らせてもらったのだけど。 ヌメリスギタケツバタケ(ナラタケ)カノシタバター炒めでおいしく頂いた。三種とも初めて採ったのだが、特徴的なので自分でも判…

若喜商店@喜多方

蔵の街、喜多方市にある若喜商店。創業は宝暦5年(1755)、醸造業で醤油、味噌を造っていた歴史のある商家。蔵座敷・倉庫・蔵・道具蔵など八棟の蔵が残っている。 正面のモダンな店舗部分は昭和6年に食料品店として増築された部分。内装も天井部分が漆喰で…

ふみくら 須賀川店

久々にふみくらに行った。HPで定休日を確かめたつもりだったが、早く着きすぎて須賀川の街中を2時間ほど散策することになった。小雨混じりの旧宿場町はなかなかオツでした。こんなことなら何かガイドブックを持って行くべきだった・・。

ラーメンショップ椿 泉崎店

須賀川の帰りに、以前から気になっていたラーメンショップ椿へ。場所はR4沿い白河と泉崎の境界近く。女石から5kmくらいかな。 いつ前を通っても繁盛している印象だけど、昼時ということもあって駐車場も店の中も大混雑。敷地が広いのでトラッカーが寄りやす…

塩原八幡宮@中塩原

中塩原八幡町にある塩原八幡宮。現在はR400バイパスの青葉通りが全面開通してアクセスがよくなったが、ちょっと前までは日塩道路側からしか上がれなかったと思う。江戸期以前は、追沢より西側の平地は箒川が氾濫するため古町の本陣付近から斜めに上がってい…

高尾塚@下塩原塩釜

塩釜温泉のホテル明賀屋駐車場に「高尾塚」の碑がある。文化13年(1816)11月に建立されたこの碑は、正面に「高尾塚」、他の3面には江戸の儒学者「山本北山」による撰文が刻まれている。この碑は、塩原出身の二代目高尾太夫の没後150年に、その身を哀れんだ…

万人風呂と遊園橋、遊園道

青葉通り沿いの小太郎ヶ淵入り口前から箒川の渓谷に下りていくつづら折の道がある。専売公社(JT)の塩原寮が途中にあるこの道が「遊園道」だ。 これは90年代の住宅地図に着色したもの。オレンジが青葉通り予定線、黄色が万人風呂に向かう道路として開削…

万人風呂 霞上館跡の2

当時塩原は、華族・皇族らセレブが別荘を構え、文士や芸術家、実業家がこぞって訪れるリゾート地であった。「万人風呂 霞上館」は大正の末にオープンした温泉施設で、箒川流域に点在する塩原七湯からは奥まった山あいにあったという。建物の前には小船を浮か…

万人風呂 霞上館跡の1

以前上げた記事で「辻潤が塩原に来たときのこと」というのがあるのだが、その中で間抜けな勘違いをしていることに気づいた。 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん ダダイスト辻潤が1935(昭和10)11月に塩…

離れ室城跡@塩原畑下

塩原の里ウォークからの切出しです。三依・横川・塩原を領地としていた塩原氏が衰退し、宇都宮氏の家臣の君島信濃守が塩原に侵入してくる。康歴2年(1380)、畑下の対岸富士山の峰部分に建てられた居城が通称「離れ室」である。 青葉通り弁天大橋からの眺め…

塩原の里ウォーク

塩原温泉ビジターセンター主催の「塩原の里ウォーク」に参加してきた。コースはビジターセンターから青葉通りを通って、源三窟、塩原八幡宮、塩原もの語り館、妙雲寺などを巡るもの。観光コースっぽいが、塩原の街中じっくり散策したことがなかったので、参…