中塩原八幡町にある塩原八幡宮。現在はR400バイパスの青葉通りが全面開通してアクセスがよくなったが、ちょっと前までは日塩道路側からしか上がれなかったと思う。江戸期以前は、追沢より西側の平地は箒川が氾濫するため古町の本陣付近から斜めに上がっていくルートだったそうだ。
大きな地図で見る
右下の蓬莱橋で箒川の北岸から南岸に渡り、上会津屋の処で左の路地に入る。この辺に宇都宮藩の役人が滞在するときに利用した本陣があったという。古町温泉の源泉のある古町一班共同浴場を左に見て緩やかなカーブを上がっていく。ホテルおおるり(旧こめや)入り口付近で道は消失するが、青葉通りに入り紅葉橋で追沢を渡る。
道は「民宿本陣」付近を通って「源三窟」の洞窟入口と休憩所の建物の間を通っていたという。確かに90年代の住宅地図を見ると、源三窟付近から八幡宮に続く細道が描かれている。ちなみに「煤煙」事件で森田草平・平塚らいてうはM41年3月23日升田屋(満寿屋)に宿泊、宿から八幡宮前まで人力車で行き、そこから徒歩で尾頭峠を目指した。
この付近、青葉通りから崖下を覗くと道跡らしきものが見える。もうちょっと先で今の道路と合流する部分は確認しやすい。さすがに今この道を利用している気配はない。
応神天皇(誉田別尊)が御祭神である八幡宮は、古くから貴族、源氏が崇敬していた。社伝では、創建は大同2年(807)で、のち治承年間に塩原太郎が再建したという。承応3年(1654)領主の奥平美作守が社殿を再興し、塩原の鎮守としたという。
現在の社殿は、寛政10年(1798)宇都宮藩主の戸田越前守の庇護のもと再建されたもの。
境内には神木の「逆杉」がある。推定樹齢約1500年のこの杉は枝の重さを支えきれず枝が垂れているので、その姿から逆杉と呼ばれている。源平合戦の時、源頼政の孫有綱が塩原氏を頼ってこの地に潜伏し、武運長久を祈って杉2本を献納したのが逆杉だという。また逆杉には康平元年(1058)に源頼義・義家(八幡太郎義家)親子が「前9年の役」の際、奥州の阿部貞任征伐のため八幡宮に立ち寄り戦勝祈願をした際、箸代わりに使った杉の小枝を地面に逆さに刺したものが成長したという伝説もある。
この切り株跡は宇都宮城建設のために切り出された木のものだといわれている。
また八幡宮の隣には、源氏政権樹立の開祖源三位頼政の嫡孫の源有綱(源三窟に隠れていた人物)を祭った神社がある。
初めて入りました「源三窟」。いました有綱。お米のとぎ汁でここに隠れていることがバレちゃうのです。
境内山際に若水湧水があり、青葉通りの造成で分かりづらくなってしまったが、道路下の崖の「八幡滝」から流れ落ちている。山下にはその水が使われているマス釣り場があったような気がする。魚釣りといえば逆杉か金精川の釣堀だったな。