がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

花の季@新里町

天気が良ければ川遊びに行くはずだったが朝から生憎の天気。 曇りだったおかげで、肉眼でも部分日食が見えた。写真は11時21分頃。 家族で花の季へ。けっこう久しぶり。 これって、アーティチョーク? 店舗の周りは小さな畑や作物がわっさりと茂っている。垣…

梁はまだか

ヨメの買い物待ちで、アクロスプラザの自販機前のベンチで読書していたら、初老のおじさんに梁(やな)はどこにあるんですか?と話しかけられた。大宮から下調べなしで来たそうで、とりあえず黒羽観光梁の行き方を教えた。はて、お座敷は5月くらいからやって…

白湯山信仰のお札

黒磯郷土館の所蔵品の、白湯山信仰のお札。お札というより、掛け軸的なものか。板室の温泉神社にかけられていたものだそうだ。 月 山白湯山大権現 朝 日 嶽 と那須嶽の三山を掲げ、その下には 一念成就之風 拂五逆十悪之雲 心海圓満之水 濯惑疫煩栖之垢真 如…

下のクルマ@豊原甲

先述の星野製麺店の記事を書くのに「五軒町区100年のあゆみ」を読んでいたら、西那須野地区にも思いのほか水車があったことに気付いた。といっても那須疏水が開通してからの話なのだが。星野さんは粉を引くのに赤田の第三分水にあった「保坂水車」まで往復し…

塩湧橋@塩釜温泉

塩原塩釜に架かる大正~昭和初期の塩湧橋の様子。大きい画像はこちら。当時この橋は塩原温泉の見所の一つだったらしく、塩原の絵葉書セットに必ず登場している。キャプション通り当時は北岸の塩釜温泉街から塩の湯へ向かう入口となる橋だったようだ。 明治43…

ドンドンサ跡@高久甲瀬縫

黒田原に行く途中で寄り道。瀬縫の旧線跡。 1887年(M20)に開通した当初の東北本線は、地形に沿ったカーブと坂の多いルートだった。土木技術がそれほど発達しておらず、河川のより幅の狭い場所を渡渉するためであった。1920年(T9)、勾配を緩くした現在のル…

当時の馬鈴

黒磯郷土館に展示してあった馬鈴。 名称は「マツムシ」、嫁入り馬に付ける装飾とある?採取地は野間と寺子で奥州道中沿い。那須町民俗資料館の展示品でも発見。 「ノリカケ」 (人が乗るための鞍)馬鈴がぶら下げてある。採取地は寺子乙下川。 実際にこんな…

ドチャスズ

これは、ミスドの新作のドチャリング・・ではなくて、 「駑者鈴(ドチャスズ)」という。中附駑者(なかづけどちゃ)が馬に付けていた鈴だ。 「奥会津地方の山村生産用具」より 中附駑者とは、江戸時代初期より明治初年まで、会津西街道を中心に発達した物資…