映画館
常設館ではないが、八溝山麓の劇場を紹介する。黒羽東毛座について当時スタッフだった方からお話を伺ったとき、東毛座と「掛け持ち」での上映を行なっていたと教えてもらった、那珂川町大山田上郷の河原坊地区にある劇場の場所を観に行った。掛け持ちとは、1…
栃木県大日本職業別明細図 T14(1925) 栃木県大日本職業別明細図 S12(1937) 馬頭時報S26(1951)07創刊号 広告 昭和30年代、馬頭地区にあった映画館は、新町下の新興座と荒町の馬頭クラブの2館だ。新興館 馬頭町馬頭462、463、464 現住所:那珂川町馬頭464-1 …
栃木県大日本職業別明細図 T14(1925) 栃木県大日本職業別明細図 S12(1937)昭和30年代、烏山地区にあった映画館は、鍛冶町のアサヒ座と、金井町の平和館、泉町の烏山映画劇場の3館だ。烏山アサヒ座烏山町102 現住所:那須烏山市中央2丁目3-15 木造一階-二階建…
みつけました 住宅地図那須町1997年で発見 高久甲6146 ・・ということは 那須ワールドモンキーパークの前身の施設ってことですね 2000年代の那須町地図は持ってないのでいつからWMPになったのかは不明ですhttps://t.co/v5lXsWnYZ8 pic.twitter.com/sqi7bo…
混沌の大正末期、女相撲の一座とアナキストたちの熱き青春群像。赤松陽構造のタイトルと馬場正男の美術、ヒカリ座1の軋む袖幕もいい感じで何度も泣いた。#俺たちのヒカリ座
白石和彌監督の「止められるか、俺たちを」の舞台挨拶に行った。1969年の若松プロダクションを舞台とした青春群像劇。最初は井浦新さんが若松監督って!?って思ってたけど、役者ってすごい!完全に若松孝二だった。学生の時8ミリのタングステンフィルムが…
明治中期 日清戦争の頃、日本で景気がいい地域は「鎮台の安芸広島か、たばこの野州茂木か」と言われた時代があったという。大本営が置かれ戦争特需に沸く広島と並ぶくらいに、たばこの一大生産地であり製造が盛んな茂木が栄華を極めた時代があったというのだ…
茨城県那珂市瓜連に昨年(2017.10.14)出来たミニシアター、あまや座に来た。「茨城県北 瓜連に芸術文化と人の交流の場を」の名のもとにクラウンドファンディングと市民ファンドの支援で作られた映画館。これがどんなにすごいことだかわかるだろうか?Netfli…
牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件を観に福島市にあるフォーラム福島にやってきた。話題牯嶺街少年殺人事件をフォーラムで!午後からの上映だったので行きは高速を使わずに国道4号線をずっと北上した。3時間ほどかかってしまったが、国道沿いの街並みの変…
かつて宇都宮市内にあった銭湯や映画館の情報をまとめたマイマップ「宇都宮の今昔(仮)」を更新しました。
栃木県大日本職業別明細図 S12(1937) ちなみに栃木県大日本職業別明細図 T14(1925)のほうには黒磯町の市街図の紹介はない。栃木県営業便覧M40(1907)にも掲載はあるし何故なのだろうか。広告が充分に集まらなかったとか?黒磯駅周辺は明治19年に黒磯駅が出来…
かつて、東那須野駅の東口に「東館」という映画館があった。「1955映画年鑑 付録 全国映画館総覧」によると住所は東那須野村大原間394、現在の住所だと那須塩原市大原間394となる。那須塩原駅の西口、県道東那須野停車場線から少し入った場所だ。 臼井薬局さ…
ここのところずっと県北の各集落にあった映画館について調べている。 テレビの普及以前、どんな小さな集落にも一つぐらい映画館があった。それらの映画館の存在した期間や場所を調べるために、国会図書館や県図で当時の映画館名簿を閲覧コピーしまくったんだ…
昭和30年代、黒羽地区にあった映画館は、黒羽向町の東毛座と、黒羽田町の黒羽東宝の2館だ。当初は東毛座が邦画、黒羽東宝が洋、邦画系を上映する映画館だった。すでにその面影はないというが現地を確認しに行ってきた。 東毛座(とうもうざ)川西町321 / 黒…
あさってツマの福島に行く用事に便乗して 南相馬の旧朝日座といわき湯本の旧三函座に行ってみるか https://t.co/HDnjOEJgN0 … — がりつう (@garitune) 2015, 11月 21 本宮映画劇場を訪れたからには いつかは南相馬の朝日座にも行かねば、とずっと思いを馳せ…
福島県本宮市のアサヒビールの工場見学に行った。そのついでといってはなんなのだが、市内にある本宮映画劇場の見学を予定にねじこんだ。 旧奥州街道沿いメインストリートにある銀行の駐車場に車を止める。その裏手 路地を入ったところに目的の建物は立って…