がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

「俺の人生三百年」と高栄館@高林、そしてドンドンサについて


先日SNSで1990年代にラジオCMが流れていた「那須モンテパルコ」について調べていて、現在のこの施設は東北サファリパークが経営しているということで、なにか情報はないかと東北サファリパークの創業者熊久保勅夫さんが1993年に出版した半生記「俺の人生三百年」を読んでみたのだが、これがまた波乱に満ちた人生でとてもおもしろかった。

 

熊久保勅夫さんは1923年(S6)生まれ、高林の酒造業、熊久保商店の次男として生まれた。熊久保家の酒造はもともと木綿畑新田にあったのだが、昭和に入り現在地の高林に移動したという。商号はコル一といい「東郷」という酒銘で古くから日本酒を製造販売していたが、戦後はGHQから東郷元帥にと同じ名前で軍国主義につながると「平和 壽」と改名させられた。

 

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岩本酒店のロードサイド看板に平和壽

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「俺の人生三百年」に書かれている熊久保勅夫さんの生い立ちによると、生家の熊久保家は酒造業のほかに木材業、製炭業、旅館業などを経営していたようだ。また、熊久保家はS30年代に高林で映画館も経営していた。娯楽の少なかった時代、空前の映画ブームで興行場営業はピークの時期であちこちに映画館が作られた。

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高栄館跡地 奥の建物付近にあったという

テレビが普及する以前、ある程度の規模の集落には映画館があって、高林地区にも高栄館という映画館が存在した。「全国映画館名鑑」をみてみると高栄館はS32~35年に確認できる。 配給は大映、松竹系で木造2階建て、定員は350とある。


当時の様子を知る方によると、 2階席や2階桟敷は存在せず映写室だけが2階にあったとのこと。 S40年代にはすでに定期的な上映は行われておらず、夏休みに怪談ものの上映会を行ったり、小学校の授業で高栄館へ教育映画を観に行ったりするくらいだったという。また有名になる前の村田英雄の生公演を高栄館で観たという方もおられた。映画館の思い出を伺うと必ず旅芝居の一座の話や今では有名な芸能人がこの劇場に来たんだ、という話をよく聞く。演芸場や劇場、ヘルスセンター、クラブやキャバレーなどをめぐる地方巡業時代の苦労話はおかしくも切なくギラギラとした野心に満ちている。

 

1969年(S44)頃、夕方に高栄館で地元のバンドの演奏会があり、何度か観に行ったとのこと。高林地区は不動産ブームで山林の土地が売れて景気が良く、自家用車に乗りバンド活動に参加する若者が多くいたそうだ。 当時のエレキブームの様子を伝える貴重な証言だ。当時の新聞の映画案内を観ていて「スパイダースの青春ア・ゴーゴー」がこの街でも上映されたんだなあ、という事実はわかるが、GSブーム、エレキブームが実際に若者たちにどんな影響を与えたかの実例を聞くとさらに感慨深いものがある。高栄館の建物はS40年代後半に取り壊されて当時の様子を伝えるものは何もない。

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「俺の人生三百年」はサファリパーク、サーキット場経営、不動産で成功をおさめ、公営競馬賞金王でもある熊久保勅夫さんの波乱万丈の半生の記録である。何度もどん底まで堕ちて這い上がったサクセスストーリーだ。1993年発行の本なので、それ以降の経営展開についての話を是非聞いてみたい。これだけの成功を収めながら貪欲に秘宝館の運営までやっているんだもんな。地元の観光産業、レジャー産業の移り変わりについてもお話を伺いたいものだ。

 結局この本には当初の目的であった「那須モンテパルコ」についての情報も「高林高栄館」の詳細も触れられていなかったのだが、個人的に重要な情報がひとつあった。休園間もない頃の黒磯の遊園地「ドンドンサ」が登場するので、その部分について触れておきたい。

1969年(S44)の2月、福島県磐梯熱海温泉で「磐光パラダイス火災」という事件があった。磐光パラダイスとはキャバレー・温水プール・映画館・こどもの楽園などがある福島県下一の大型総合レジャー施設で、1968年(S43)5月にオープン、前述の大火災で消失して閉館した。ヌードショー、金粉ショー、アイヌショーなど(そういう時代だった)ユニークな舞台でマスコミを賑わせた。

「俺の人生三百年」に、この火事で被災した磐光パラダイスの鳥類園の鳥たちを保護して、黒磯ドンドンサでかわりに飼育する話が出てくる。当時不動産業をしていた熊久保さんが、のちに動物を売りにした観光事業を始めるヒントとなる重要な場面だ。なぜ磐光パラダイスの鳥たちを預かることになったのかについては触れられていない。熊久保さんとドンドンサの関係についても是非知りたいものだ。

その後すぐドンドンサも倒産、ドンドンサの飼育員たちは、近所の料理屋から残飯をもらって食べさせていたが、電気代も払えずポンプは動かず水も止められ、鳥たちは全身糞まみれになっている。熊久保さんはそんな扱いに怒って、鳥たちを買取り飼育費用を工面したのだという。

この本には鳥たちの様子を観に行ったのが1969年(S44)の夏とあるのだが、実際のドンドンサのオープンは1970年(S45)4月11日のはずだ。記憶違いだろうか。ドンドンサの正式な営業期間はかなり短かったと聞く。オープンを知らせる1面広告に書かれている「洋鳥・野鳥の大世界」は磐光パラダイスの鳥類園から来た鳥たちだったのだろうか?

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鳥たちのなかに物真似のうまいカラスがいて「バンコー!カジダー!」と鳴くのだという。磐光パラダイスの火事の晩に「磐光が火事だあー!!」という皆の叫び声を聞いて覚えてしまったというのだが・・。その後岳温泉の鏡沼に「岳温泉バードランド」という施設を作り鳥たちを移設したのだそうだ。