がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

黒磯の映画館 寶来座と金剛館

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栃木県大日本職業別明細図 S12(1937) 

ちなみに栃木県大日本職業別明細図 T14(1925)のほうには黒磯町の市街図の紹介はない。栃木県営業便覧M40(1907)にも掲載はあるし何故なのだろうか。広告が充分に集まらなかったとか?黒磯駅周辺は明治19年黒磯駅が出来てからの発展で、町並みの形成は後発だったが、明治32年には遊廓設置規程県令により増設地に選定されるほど経済的にも繁栄が目覚ましい地域だった。


昭和30年代、黒磯地区には磯原町新地仲通りの寶来座と、黒磯本町原街道沿いの金剛館があった。寶来座は東映と日活、金剛館は松竹と東宝大映の作品を上映していた。

寶来座
黒磯町磯原町206 / 黒磯町206 現住所:那須塩原市中央町4
木造二階 250-500席
創業1951年11月(1950年11月?)
資料では1952-1963の営業は確認 閉館時期は不明


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「おもいで写真館 那須塩原のひと・まち・くらし」H27(2015)より

昭和初期の新地仲通り。現在の三川燃料店のところまで道の両側に桜の並木があったそうだ。

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 現在の新地仲通り。1990年代前半くらいまではカフェグランボアなどもあり盛り場的な雰囲気が残っていたのだが、現在は閑散としている。

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2016.06撮影

この通りの中央ほどに「御菓子司 遊行堂」という看板の建物がある。これがかつての映画館、寶来座の建物である。おわかりだろうか?

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2016.06撮影
矢切りの部分に当時の「寶来座」の塗装の跡が残っている。遊行堂のファサード壁の向こう側はどうなっているのか。

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正面からみるとこじんまりとした商店だが、後ろ側に回るとかなり大きな建物だとわかる。全国映画館名簿、映画館録の収容人数をみると増減するが最高で500席。一段高くなった舞台があり2階桟敷もあったという。

近隣の方の話だと、映画館を閉館したあと、座席や舞台などを外してリノベーション、県北で初のスーパーマーケットとして営業をしたらしい。鮮魚店青果店などの個人商店がテナントで入り、当時県北で一番大きな商業施設として名を馳せたそうだ。スーパーとしての営業は5、6年だったらしく、その後は家具店として営業し、最後は和菓子店の「御菓子司 遊行堂」が使用していた。菓子店はこんなおおきな建物である必要がないので、後ろの部分はしばらく倉庫となっているのではないか。
映画館として営業した時は2階建てで、2階には桟敷があった。スーパーが居抜きで営業した際に壁で塞いだはずだが、2階の桟敷は現存しているのではないか、とのことだった。是非見たい!

寶来座は営業当初、宝来館、宝来座を名乗っていたが、全国映画館名簿、映画館録をみていくと1959年から数年間、黒磯東映東映宝来座を名乗る時期がある。これは直営扱いになったのか、それとも何か配給方式が変わったのかは不明である。興行主・支配人名に変更はないので運営上大きな変化があったわけではないようだ。宝来座を経営していたのは貸座敷業、金融業で名を成した原田家である。当時の建物が残る蔵にも「寶」の文字がみられる。




金剛館
黒磯町40 / 黒磯町本町3-40 現住所:那須塩原市宮町12-7
木造二階 450-800席 1942年2月創業(1931年11月?)
資料では1942-1964の営業は確認 閉館時期は不明

映画年鑑の1954年版と55年版には創業年データが掲載されているのだが、映画館の中にはその2つの年代が違っているものがある。これは誤りの訂正なのか、あるいは映画常設館としての創業だと思って提出したら、芝居小屋としての創業を改めて提出したのかよくわからない。また創業当時は収容人数が800席だったのが450になったり。それ以降ずっとその数なら、何らかの都合で2階桟敷は使わなくなったとか、なんとなく想像つくのだが、上がったり下がったりまちまちな申告があったりで困る。

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原街道 2016.06撮影

金剛館があった場所は葬祭業者の帝都ホールの手前、レオパレスの前の駐車場付近と思われる。(画像)
金剛館は、戦前あるいは戦中に創業した800席の収容人数を誇る劇場である。経営は安藤家。1949年には那須村湯本の那須劇場を経営。那須劇場は1914年創業という資料もあるので、もともとあった芝居小屋を常設映画館として営業したのかもしれない。1958年には寺子丙にある黒田原劇場を引き継ぎ泰平館という名称で経営した。金剛館は1964年に黒羽東毛座の鈴木家の経営となる。
複数の方から小学校の時皆で金剛館で映画を観たという話を聞いた。赤胴鈴之助明治天皇と日露大戦争、ベンハーを観たという方もおられた。


寶来座と金剛館の記憶、思い出、関係資料についてご存知なことがありましたら、書き込みして頂けるとうれしいです。

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 番外

 

黒磯シネマ
黒磯市錦町14-3
鉄筋一階 166席 錦商事(株)
1975-1982は確認 開館閉館時期は不明


黒磯マリオン /黒磯ピカデリー / 黒磯ピカデリーヤング館

黒磯市錦町14-3
鉄筋一階 各77席 ナカジマ興行
-1988- 開館閉館時期は不明


シネマクラフト黒磯A,B
黒磯市錦町14-3
鉄筋一階 各77席
2006年閉館

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大田原セントラル劇場、西那須野劇場、太陽劇場、大田原朝日座と次々と映画館が閉館する中、経営者が変わりながら最後まで栃木県北の最後の砦として営業を続けたのが錦町のこの映画館である。2006年に閉館し栃木県北は映画館の空白地域となった。2009年のフォーラム那須塩原の開館を待つこととなる。改めてフォーラムシネマネットワークの成り立ちについて以下記事中の文章で確認していただきたい。

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