がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

秋の板室本村2022

秋の会津中街道板室本村、白湯山一の木戸へ久々の訪問。

板室湯本道標碑
[正面] 右会津街道 三斗小屋江三里八丁  
[左]  左ゆもと道従是二十八丁  
[右]  天保七丙申年六月大吉日建
    肥後大熊書(その他佐野屋、伊勢屋、江戸屋
          和泉屋、大黒屋、小松屋、一井屋など世話人名)

[裏面] 「奥州津軽弘前品川町産遊圓」
    「難病」「車来入湯千度」などの文字が
     読めるが風化のため全文判読不能

注:那須塩原市の文化財のページに裏面の解読した文字が掲載

会津中街道の板室本村宿より板室(塩沢)温泉道への道しるべとして建てられたもの。裏面の碑文より「奥州津軽弘前品川町」の「遊圓」が板室温泉の湯治により「難病」を克服した感謝の意で地元世話人の協力により建立されたと推測される。「肥後大熊」とは百村光徳寺の十九世住職の書であるということ。
[伝承]みすぼらしい体の不自由な人が湯治に来たが、あまりにもきたないので共同湯の湯じりに別に湯つぼを設けて入湯させられた。ところが、湯治の甲斐あって立派に足が立ち、喜びのあまり大日堂の前で踊りを踊って帰郷し、再度板室を訪れて同じ病に苦しむ人々のために、この「ゆもと」への道しるべを建てたと伝えられている。
(「黒磯市文化財」)
正面と左に方向がある以上、分岐点に建てられるのがふつうである。大日堂とペアで語られる以上、現在地にもともとあったとすると、西に行く道があったのか?50mほど南に行くと細い山道があり、旧集落入口あたりに出てくる。道標から20m南に「テンカラ」という民宿があるが、その位置が脇本陣、道を挟んだ向かいが本陣だったという。
がりつう 那須野の道標

 


ここの白湯山碑をモチーフにキャップを作った。

 

garitune.hatenablog.jp

 


板室本村の大日堂


お堂の中の大日如来


しずかに、着々と冬に向かっている。

 


板室本村のその先は乙女の滝。せっかくなので板室本村の一里塚を拝んで行こう。


公衆トイレのその裏に街道跡が残っている。カーブの手前の登山道は実際の街道跡ではない。しかしちょっと変化が。

街道跡の窪みがそのまま残っているのでわかりやすい。

板室本村の一里塚の西塚。


そして炭焼き窯として使われえぐられた東塚。炭が燃料として使われていた時代、木を伐り出して山林で炭焼きを行い、製品にしてから街に運んでいた。沼ッ原のほうにもこのような炭焼き窯の遺構があちこちにみられる。尾頭道でもこんな穴をいくつもみかけた。



 

2008年の探索の沢名川渡渉の様子。

板室古戦場跡もソーラーパネルの電気畑になってしまった。




あの頃と変わったのは乙女の滝休憩所がオサレなコーヒーショップになっていたこと。
ONTARIO(オンタリオ)。本来は土日だけの営業らしいが、紅葉が見頃の時期なのでやってたのかな。グァテマラを頂いた。320円。セブンイレブンの珈琲が一番うまいと思っている俺にも違いがわかったぞ。

乙女の滝休憩所といえば里芋串とか鮎の塩焼きとか食べた記憶がある。ネットに昔のお店の情報が残っているな。スクショしとこう。

www.tochi-in.com

 

公衆トイレの裏手にアウトドアの施設が出来ていて、街道跡の入口が塞がれていた。なにより私有地だし、過疎化する板室本村を活性化するアクションを起こしている人たちを応援したい。街道の、昔の名残をいつくしむ行為は、現地で生活する人々にとってはエゴでしかないんだ。







熊川の洗い越し


台風や豪雨のあとの通行止め情報に出てくる「熊川の洗い越し」を観てきた。高林街道の東北道の陸橋付近。




東北道上りの側道を南に。陸橋をくぐると舗装路が終わり砂利道になる。堤防の手前に洪水時の制止線を張る支柱があった。堤防の丘を越えるとそこは・・。

コンクリートの沈下路が熊川を横断している。


熊川は蛇尾川同様、中流域は水無川で伏流しているが、蛇尾川と比べると川幅が狭い。1960年代から治水工事が進められていたが、1998年の那須豪雨では熊川が氾濫し浸水被害が起きた。決壊したエリアを含め引続き治水工事が進められている。




地図では表記されていないが、東北道下り側の側道も存在する。こちらは生活道路というよりあくまで管理路でかなり藪が茂っており西那須野・塩原IC方面への車両の通行は困難そう。


こちら側の沈下路のほうが雰囲気がある。


熊川は川幅が狭いから、中流域に何箇所も生活道路の橋が架けられている。どれも昭和30~40年代に架けられたような年季の入った橋でいい感じだ。

もちろん自然災害は恐ろしいんだけど、那須野ヶ原の地形と密接に関係している水無川に興味がつきない。

garitune.hatenablog.jp

 









蛇尾川の洗い越しと渡渉点

那須野ヶ原那須連山から流れる河川が作り出した複合扇状地である。その中央部に流れる蛇尾川(さびがわ、じゃびがわ)と熊川(くまがわ)の中流部は水無川で、水流は地中を流れている伏流水となっている。下流に向かうにつれ、堆積物が大きい石から細かい土や泥に変わるため水の浸透率が下がって、通常の地表に水が流れる川となる。

「図説那須野の地下水探査記録」によると、蛇尾川は大蛇尾川と小蛇尾川の合流地点から約1kmは地表を流れているが、その先右岸に緑色凝灰岩が露出し、それ以降両岸とも砂礫層で覆われ、表流水は減少、表流水の少ない時期でも伏流し始めてから約1km、多い時期でも約5kmで伏流し水無川になるという。標高460mから標高230mの約14kmの間は伏流し水無川になっている、とあり、水流が地表に現れるのは権現山丘陵東南方付近、とある。伏流水の大部分は透水層の基底部である深さ3mのところを流れ、表流水の少ない渇水期には半透水層と不透水層の境、約6mのところを流れているという。

今回は蛇尾川を渡る「洗い越し」とそのほかの渡渉点を紹介する。洗い越しとは道の上を川が流れるようにしてある場所のことであるが、蛇尾川の洗い越しは普段は伏流している地点であり、台風や大雨のあとでないと表流水がないので、普段は普通車が安全に通れるように重機で整地された河原を横断する道である。いわゆる「沈下橋」のようにコンクリートで施工された道路ではないため、大水で路面がえぐられてしまうことも多く、濁流が流れていて川底が確認出来ない場合は普通車での横断は危険である。



高林の蛇尾川の洗い越し(標高371m)


高林側からの河川への降り口 4年9月24日撮影


台風で大雨が降り、洗い越しが洗い越せるまたとないチャンスであるが、前述の通り普通車では洗い越すのは危険。路面の安全が確保されるまでは通行止めとなる。

蛇尾川の洗い越しに表流水が流れる場面は珍しいので、結構洗い越しファンが訪れている。そういう自分も来ているわけで。

 

この洗い越しを境に上流が上横林・高林、下流が洞島の境界線になっている。また右岸を蛇尾川沿いに通る旧会津中街道を境に西が横林、東が洞島の境界線になっている。
この渡渉点は会津中街道のルートとなっており、昔からある横林~高林間の最短ルートであった。



「図説那須野の地下水探査記録」によると、蛇尾川は平均川幅200m,、最大500mに及び、 乱流甚だしく、河道は40年間に400mも移動した場所も知られている。上横林より下流、両岸の無栗屋、横林、接骨木、北和田、上中野、遅沢、槻沢、関根、下中野、戸野内一帯はかつての蛇尾川の洪水時の乱流地域である。横林、接骨木の街道筋の集落はかつてはもっと蛇尾川沿いにあったものが頻発する洪水被害により移転したものだ。
蛇尾川上流部の表流水の流量は平時は1~5㎡/秒だが、集中豪雨等により河川が氾濫すると、平常の100倍に達することもあり、流下した「れき」の大きさも1mに達するものも見かけることがある。出水も減水もともに早い。

garitune.hatenablog.jp

 



高林の洗い越しから4キロほど下流に笹沼の洗い越しがある。

笹沼の蛇尾川洗い越し(標高306m)


R4年9月24日撮影

右岸には自由学園那須農場、左岸にはブリヂストンのテストコースがある。左岸は笹沼~波立(はったち)に続く道で、右岸は渡渉点から直線距離1.5キロで接骨木街道の「赤坂道(あかさかみち)」入口につながっていたのではないか。現在の通称「赤坂道」は三島ホール脇に出てくる道を言うが、赤坂から大貫~宇都野方面に通じる「たけさん道」があり、この道は大貫、宇都野方面からは「波立道」と呼んだ。



豪雨、台風による洪水は年に何回かあるが、出水後平常に戻る期間は約2週間ほどだという。

garitune.hatenablog.jp

 

garitune.hatenablog.jp

garitune.hatenablog.jp

 


garitune.hatenablog.jp

 

大田原春雄先生によれば、蛇尾川のサビ、とは朝鮮語のsap(サップ)刃物や鋤、転じて砂鉄のを意味する言葉で、砂鉄の川の意味であろうという。町島の水口(みなぐち)とは砂鉄の純度を高めるための金流川(かんながわ)の水の取り入れ口であると。

那須野橋(標高265m)

原街道渡渉点付近から国道4号線の那須野橋


東関根渡渉点(標高250m)

蛇尾川は国道4号線の那須野橋を過ぎ、東関根付近まで来ると伏流していた川の流れが時期により地表に現れる。この付近にもかつては渡渉点があったとみられ、車両の通れるような洗い越しとして整備はされていなかったが、河川敷に降りられる作業道が作られていた。渡渉点でもあり、貴重な水を汲みに来る道でもあったのだろうか。

右岸の東関根と河川敷への降り口

以前から東関根と下中野を結ぶ渡渉点であったこの場所に新たに市道新南下中野線が建設され、蛇尾川にかかる令和大橋が作られた。橋自体は完成しているようだが、開通はまだのようだ。

令和大橋(標高250m)

令和大橋より蛇尾川上流方面 R4年9月30日撮影 

台風後で普段はない川の流れがみられるが、普段は川岸の断崖から伏流水がチョロチョロと流れ出して小さな泉が出来ている場所だ。

令和大橋より蛇尾川上流方面

garitune.hatenablog.jp

 



今泉大橋(標高239m)

今泉大橋より蛇尾川上流方面 R4年9月30日撮影

今泉大橋より蛇尾川上流方面 R4年9月30日撮影

今泉大橋より蛇尾川下流方面 R4年9月30日撮影

右岸の起伏が権現山(標高285m)から続く竜尾山(大久保山 標高281.6m)と呼ばれる丘陵で、通常はこの付近まで伏流している。



今泉大橋はライスラインの新設によりS48年8月新設架橋、それ以前の金田戸野内と三谷に通じる渡渉点に向かう道はこれだったのではないか。現在は藪に覆われてしまっているが、河川敷に降りる作業道があった記憶がある。

 

権現山から河川敷に降りてくる坂。


登谷橋(標高230m)


蛇尾川 登谷橋より上流方面

蛇尾川 登谷橋より下流方面

登谷(とや)は今泉の小字名。トヤとは山の鞍部、山中の猟師の小屋、出屋敷、新屋敷のことをいう。この渡渉点に出てくるルートが竜尾山丘陵の鞍部でのちのち切通したものか。今泉の川沿いの集落が新屋敷にあたるのか。たぶん新屋敷のほうではないか。

登谷橋は災害復旧工事により木橋が架設されたが、S50年3月に永久橋に新設架橋された。石林から今泉に向かう「カノ道」から竜尾山丘陵を切通してこの蛇尾川の渡渉点に通じている。

登谷橋手前の切通

garitune.hatenablog.jp

 



 今泉橋(標高226m)

蛇尾川 今泉橋より上流方面 R4年9月30日撮影


県道大原間大田原線上今泉線、沼の袋(紫塚)と今泉に通じる道路にある。昭和32年3月に木橋より永久橋に新設された。

蛇尾川 今泉橋より下流方面 R4年9月30日撮影



参考文献:「大田原市史後編」「図説那須野の地下水探査記録」渡部景隆、提橋昇

湯野上橋工事中

下郷町大字湯野上の国道121号線を通ったおり、阿賀川(大川)に架かる湯野上橋が工事をしてるのに遭遇した。鉄筋のアーチリブと吊り材をすべてコンパネと足場材で包み込み、まるで要塞のようになっていた。

川沿いの高台の墓地にお邪魔してその芸術的な梱包作業を見学させていただく。

トロイの木馬ならぬ木橋。塗装作業だけならここまで囲い込まないよなあ。3月の通行止めの案内には「橋梁補修工事、塗装用足場の設置」の文言があった。塗料飛散防止のためなのか?

国道121号福島県道347号高陦田島線を結ぶ湯野上橋は、積雪落下の危険性のため冬季閉鎖になったりする。そのへんの改善もされるのか?1984年(S59)12月開通、橋長139.2 m、 鋼下路ローゼ橋という形式らしい。

湯野上橋は大川ラインと呼ばれる高さ50mほどの深い渓谷に架かっている。1キロ程下流に中山風穴エリア、そのあたりから阿賀川に長い年月で削られた「へつり」状の崖となる。

渓谷の崖のフチがテーブル状に削られ会津線が走っている。阿賀川右岸、観光名所の「塔のへつり」は渓谷の崖に風化によってつくられた天然の回廊があることで有名だが、かつてはその窪みを道として利用していたことは以前紹介した。現代技術はこんなキワドイ崖っぷちに鉄道を通しちゃうんだからすごいなあ。

garitune.hatenablog.jp

 

作業員のみなさまご安全に。

太夫塚どんど焼き2022

f:id:gari2:20220111120340j:plain
太夫塚のどんど焼き会場。今年は狩野のどんど焼きの点火を観るつもりなので、とりあえずトリゴヤの写真だけでも記録しておこう。

f:id:gari2:20220115111945j:plain

太夫塚のどんど焼きの何がいいって、このロケーション。高原山塊をバックに、刻々と沈んでゆく夕日と暮れてゆく夕闇。繭玉団子の装飾されたミズキの参道もいい。

今年も竹酒やるのかな、それだけが気になる。


f:id:gari2:20220115171715j:plain
狩野のどんど焼きが無観客で点火が思いのほか早かったので、太夫塚方面を通ってみたら、まだ点火されていなかった。急いで会場に駆けつける。

f:id:gari2:20220117233723j:plain
神秘的な日没タイムとトリゴヤのシルエット。

f:id:gari2:20220117233758j:plain
そして点火です。

f:id:gari2:20220117234002j:plain

f:id:gari2:20220117233814j:plain

疫病退散!コロナにまけるな!!





 

狩野地区コミュニティどんどん焼き2022

f:id:gari2:20220115115448j:plain

金沢高阿津橋たもとのトリゴヤ観測点

週末休みだったので近隣のどんど焼き観測ポイントをまわったが、すでに先週の三連休で施行されてしまったか、あるいは新型コロナウイルスの影響で中止となってしまった様子。

旧村地区を中心にドライブするなか、伺ったどんど焼き情報をまとめてみると、

矢板エリアは1/8、9、10の三連休で行ったようだ
○黒磯旧村エリアの高林地区は高林、木綿畑新田、箕輪で行っているが、今年は中止
○新たに那珂川河畔公園でどんど焼きイベントが始まったとのこと
○接骨木は1/14に行った(接骨木温泉神社にて)
○大山地区コミュニティは1/14に行った(大山公民館グランドにて)
太夫どんど焼き保存会と狩野地区コミュニティは1/15開催

とのこと。

とりあえず狩野地区コミュニティの会場である蛇尾川沿いの西那須野クリーンセンター跡地に向かった。

f:id:gari2:20220115131535j:plain
広大な西那須野クリーンセンター跡地はパーティションで仕切られ、入口にはこんな告知看板が。

 

f:id:gari2:20220115130439j:plain
トリゴヤの撮影許可を頂き、場内に入る。お賽銭を入れ歳の神にのんのんして観察開始。

f:id:gari2:20220115130629j:plain
円錐状に組んだ竹の骨組みの周りを笹枝で覆い、腰巻状に藁束を立て掛けてある。大山地区コミュニティとも太夫どんど焼き保存会とも違う作りだ。

 

garitune.hatenablog.jp

 

f:id:gari2:20220115130640j:plain
正面に入口を作り、中に松飾りやしめ縄を投入出来るようにしてある。鳥居を模した竹組みを前面に立てている。

f:id:gari2:20220117012005j:plain
まわりには槻沢小学校の生徒さんが書いたと思われる願い事の短冊が飾られている。

f:id:gari2:20220118181547j:plain

右側面から

狩野地区コミュニティは槻沢小学校と、大山地区コミュニティは大山小学校と連携しており、生徒達に教育活動の一環として地域の風習であるどんどん焼きを体験してもらっている。正月明けから国内で変異株の流行が拡大している現状で、大人だけで行事を行うという選択肢もあったが、点火は代表の児童たちで行うことを申し合わせたとのことだった。

 

f:id:gari2:20220118181521j:plain

左側面から

f:id:gari2:20220118181841j:plain

背面から


今回は感染予防の観点からトリゴヤのまわりに密集して集まらないようにし、個々に車の中で観てもらいたいとのことだった。神職によるご祈祷に参加する人数も最小限で行うという意味で「無観客」という案内なのだろう。

点火は午後5時からとのことだった。



太夫どんど焼き保存会のトリゴヤも午後5時の点火だったのだが、狩野地区のほうは初めてだったのでこちらの行事を見学することにした。とりあえず用事があったのでいったん家に戻って再訪すると、5時前だったんだけど、ちょうど点火したところだった。ご祈祷行事があっさりしてたので早めに点火しちゃったのだろうか。

f:id:gari2:20220115164908j:plain

やっとカメラを取り出して収められた画像がこちら。もう炎が大きくなっちゃってる。

f:id:gari2:20220115164912j:plain

f:id:gari2:20220115164945j:plain

f:id:gari2:20220115165356j:plain

もっとちかくで観たかった。



大田原花市2022

f:id:gari2:20220112181307j:plain

一昨年は市議選の余波で、昨年は新型コロナウイルスの影響で中止となった大田原花市。年末からの変異株の拡大で開催が危ぶまれたが無事開催となった。大田原花市は地元自治会の有志で組織された世話人会が運営している。

 

f:id:gari2:20220112181421j:plain
今回から会場を市役所通りより市道332大田原野崎線沿いの中央多目的公園付近に移している。白河信用金庫大田原支店前より栄町屋台収納倉庫前までを通行止めにし、ローソン手前から屋台収納倉庫手前までの300mに約150軒ほどの屋台が出店していた。感染防止対策のため、店同士の感覚を2m開け混雑時の密集を避け、接客はビニールシート越しで行い消毒を徹底している。

黒磯初市は昨年10月の時点で早々に中止を決定している。新型コロナウイルス感染の終息が不透明なこと、今後に備えての感染防止も考慮した決断である。海外の変異株の蔓延以前の時期ではあったが、考え抜いた慎重な判断であったと思う。

「黒磯初市」中止のお知らせ | 那須塩原市商工会

 

f:id:gari2:20220116210649j:plain
花市本来の目的である縁起物のだるまや熊手の屋台の出店も多く華やかだ。さすが県北の中心都市の花市だけあって規模も大きく集客も多い。

f:id:gari2:20220116211312j:plain
f:id:gari2:20220116211257j:plain
冷え込みは厳しいが、風もそれほどなく最高の花市日和だ。

f:id:gari2:20220112181652j:plain
花市・初市はその一年の商売繁盛を市神に祈るお祭りの意味あいもあり、新春からの賑わいで景気回復を占う商工会の気持ちもわかる。大田原市は大田原与一まつりをR4年度まで休止する。3年のブランクがどうお祭りに影響するのか、新型コロナウイルスで今まで通りの規模での再開が可能なのかわからない。

【令和2年度から4年度休止】与一まつり | 大田原市

 

f:id:gari2:20220112181854j:plain
それまでは縁日・屋台好きにとっての県北の最大イベントは花市・初市サーキットなのだ。あ、去年は中止だったけどくろばね夏まつり花火大会があるか。

【令和3年度中止】くろばね夏まつり花火大会 | 大田原市

 

f:id:gari2:20220118120031j:plain

はし巻き、あげパン、小籠包。テキヤさんの商魂たくましい、次々登場する新しいアイデアの屋台にワクワクし、観て回るだけでも楽しい。

f:id:gari2:20220116222112j:plain

さあ、はやく帰って視察の成果で一杯やろう。