がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

れすとらん駒@鹿畑

同僚から鹿畑の「駒」のボリュームと旨さを熱く語られ、これは一度行ってみねば、ということになった。 席に着き壁のメニューを見るが、何がお勧めなのか聞いて来るのを忘れたっ。とりあえず無難にかつ丼を注文してみた。 かつ丼 700円うん、ボリューム満点…

金物伊勢屋@大田原中央

中央通りには土蔵造りの商家が何軒か残っている。和泉屋醤油製造店、旧亀田屋旅館、旧山の手郵便局など。今回、「金物伊勢屋」こと川上謄吉商店の見世蔵をじっくり見る機会を得た。場所は今はなき「おもちゃのエジソン」の隣、今はなき「正美堂」の前。この…

乃ん喜のかつ丼

白昼の親不孝散策後の昼メシは再び乃ん喜。今回の散策で気になる老舗食堂をいくつか知ることが出来た。天よし、青木屋、味楽等々。 大田原官公庁優良商店案内図(1980年頃?)東宝食堂はその名前から、あの地にセントラル劇場が在った頃から存在する食堂だと…

歓楽街の記憶 親不孝通編

’71住宅地図と現在の住宅地図を比較して、大田原の繁華街で40年以上同じ場所で営業している店舗を調べてみた。一番知りたいのは親不孝通りの店舗の移り変わりなので、中央1丁目付近だけなのだが。 大きな地図で見る 薬師通り 二葉屋と片岡屋薬師通り沿いの…

鴻華の五目チャーハン

久々に県北最強の中華食堂「鴻華」へ。 外食デフレって以前に、20年前から価格が変わってないお店。和田屋の焼きそば値上げをお嘆きの貴兄に。 夕刊紙かと思いきやサンケイの栃木版の記事。店主イラストヤバス!檄似。 待望の五目チャーハン、450円。 いつも…

歓楽街の記憶

かつて、大田原の盛り場の中心といえば上町のこの路地であった。高度成長期以降、このわずか80m余りの路地だけでは手狭となり、中央1丁目、いわゆる「親不孝通り」が新たな繁華街として発展していく。 この路地の名称だが、ずっと「上町通り」と呼んでいた…

那須の漬を探そう

大正だか昭和初期に大田原の名物として一世を風靡したという「那須の漬」。どうやら福神漬けのようなものだったらしい。以前、教授と呑んだ時に建物が残ってるよ、と教えて貰ったことがあった。ずっとこの話を忘れていたのだが・・。先日、薬師通りを車で通…

金灯籠の休暇

大田原宿大手門口金灯籠の下には、大田原宿で莫大な富を蓄えた近江商人の財宝の在処が隠されているという。…んなわけない。金灯籠は道路拡幅工事のため、一時別の場所に移設され、工事終了後再びこの場所に戻されるそうだ。しばらくの間、お暇頂きます。後か…

「晩翠橋」 黒磯郷土史研究会

那須野ヶ原博物館で「近代を潤す三大疏水と国家プロジェクト」を観た後に購買を覗いたら、こんなすごい本を見つけてしまった。五代目晩翠橋の工事の過程を記録した旧蔵写真と、歴代晩翠橋の歩みをまとめた一冊だ。 黒磯橋本町と高久橋本町を結ぶ、この那珂川…

「黒船」 サディスティック・ミカ・バンド

トノバンが死んでしまった。 こんな機会でないと取り出さないが、「黒船」('74)を聴き直してみた。 YMOが散開した頃('83)、このLPを繰り返し繰り返し聴いていた。A面「墨絵の国から」から「何かが海をやってくる」、「タイムマシンにお願い」「黒船 …

大宮宿と上平河岸

塩谷町の旧大宮宿。 ここは、玉生から大宮、上平渡を経て宇都宮に向かう田原街道と、かつて氏家阿久津河岸に荷物を運んだ会津西街道大宮通りの分岐点。この場所にも「立場」の屋号の店がある。「塩谷町史」によると、大宮には明治期に建場があり、荷馬車一台…

生そば 乃ん喜@大田原中央

「きらく」と並ぶ大田原の老舗食堂、「生そば 乃ん喜(七が三つ)」に来た。母も子供の頃、母の父親に連れられて来ていたそうで、創業70年ほどになるとのこと。玄関が二つあり、一つはまるで旅館の玄関口のようで、奥には帳場にありそうな江戸火鉢が見える。…

たてばの名残り

「たてば(立場・建場)」とは、街道筋の駕籠や荷馬の人足が休憩する場所で、「継立場(つぎたてば)」あるいは「継場(つぎば)」とも呼ばれる。宿場間の距離が長い場合の休憩所の役割をし、ある程度の大きさの集落となり宿屋などの施設がある場合は「間の…