那須野ヶ原博物館で「近代を潤す三大疏水と国家プロジェクト」を観た後に購買を覗いたら、こんなすごい本を見つけてしまった。五代目晩翠橋の工事の過程を記録した旧蔵写真と、歴代晩翠橋の歩みをまとめた一冊だ。
黒磯橋本町と高久橋本町を結ぶ、この那珂川の渡渉点は、かつては原街道の渡場であり、明治17年(1884)には陸羽街道が造られ、初代の晩翠橋が架けられた。
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現在も旧道が残っている。なすのや食堂から鉤の手に曲がる道がそうだ。県道よりも低くなるのは、現在の五代目晩翠橋に架け替えた時に新道の渡り口に土盛りをしたせいだ。
かつては夏場に、晩翠橋下の那珂川の流れををブルで堰き止めてプールにしていた、という話を飲み屋で知り合った人に聞いたことがあった。最近まで残っていた四代目の石積みの橋脚(ピンヤ)辺りが水泳場になったそうで、この本にはそんな情景の写真も載っていた。同時期に行われた那須街道の開削工事の様子も興味深い。
昭和7年(1932)に架けられた鉄製のアーチ橋が、77年経った今でも美しい姿で残っているのは素晴らしいことだ。イギリス、バーミンガムのコールブルックディール(ブラックカントリー)には、1776年に作られた世界初の鉄橋が今も現役らしい。耐久性はどうなのかと思ってしまうが、晩翠橋も負けずに長生きしてほしい。