かつて、大田原の盛り場の中心といえば上町のこの路地であった。高度成長期以降、このわずか80m余りの路地だけでは手狭となり、中央1丁目、いわゆる「親不孝通り」が新たな繁華街として発展していく。 この路地の名称だが、ずっと「上町通り」と呼んでいた…
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