花街・色街
本県遊廓増設問題(2) 下野新聞 M32.10.14 減租廃娼主義者大懇親会 は郡会議員当選の祝いを兼ね、本日八日午後一時より、安蘇郡新合村閑馬高林寺に開けり。朝来の晴天加うるに日曜なりしをもって、会員三百二十余名の多きに達し、定刻には場の内外に充満せ…
明治32年9月に発布された栃木県の遊廓設置規程。その翌月に下野新聞に掲載された遊廓増設問題に伴う各地の反応。第一回は足利と田沼。常用漢字現代仮名で書き起こした。本県遊廓増設問題(1) 下野新聞 M32.10.13 昨月十五日突然として発布せられし本県遊廓…
明治後期から大正にかけて、旧宿場町の繁華街に点在していた遊廓(貸座敷)が「風紀上よろしからず」という理由で集団移転を行っている。明治32年(1899)に発布された遊廓設置規程により正式に遊廓の営業を許可された地域が指定された。これにより今まで繁…
明治中期 日清戦争の頃、日本で景気がいい地域は「鎮台の安芸広島か、たばこの野州茂木か」と言われた時代があったという。大本営が置かれ戦争特需に沸く広島と並ぶくらいに、たばこの一大生産地であり製造が盛んな茂木が栄華を極めた時代があったというのだ…
江戸時代以来続く公娼制度は、明治5年(1872)に「芸娼妓解放令」により公娼制度を廃止しようと試みたが実効性に乏しく、明治33年(1900)公娼制度を認める前提で「娼妓取締規則」により一定の規制を行った。明治41年(1908)には非公認の売淫を取り締まるこ…
所在がわかってしばらく放置していた大田原新地の稲荷神社の手水石を観てきた。遊廓の敷地内には必ずと言っていいほど稲荷神社が存在した。楼主や娼妓たちが商売繁盛、家内安全を祈って建立した稲荷神社。廃業後楼の建物と一緒に神社の社も取り壊され、石造…
与一まつり始まる前、金燈籠付近散策してきたんだが、正法寺境内のお稲荷さん気になって手洗石の寄贈者名とか確認してたら境内であった方から貴重な情報が。正法寺門前にあった元下駄屋(M履物店)の建物を解体する際に建物の作りを見せてもらったら、入り口入…
前回の「大正十一年の防火週間」で大田原花街の芸妓さん達の活動を伝えたが、その頃の名残を残すものが、ここ下町薬師堂にあるので紹介しておく。 入口近くの手洗い石であるが、芸妓さん達が寄贈したもののようで、 一 金四円ノ部 三枡家 三吉 松芳 〆松 枡…
大田原にあった「時の鐘」の塔がデザインされたポスター大正11年、栃木県各管内の消防署が「防火週間」を通じて一般市民に防火意識をPRする活動を行った。「吾が防火週間」はその活動報告書で、趣向を凝らした当時のPR活動の様子を知ることが出来る。今…
友人の結婚式で 長野市に行く。長野市といえば善光寺。善光寺参りの精進落としで栄えた門前町、権堂と鶴賀新地の名残りを観てきた。善光寺は寄らなかったけど。 大門跡付近北国街道、善光寺の表参道沿いに位置する権堂村は、江戸中期より水茶屋や揚屋などが…
前から読みたいと思っていた竹内智恵子さんの「鬼追い 続昭和遊女考」を地元図書館から借りてきた。竹内智恵子さんは会津在住の民話探訪家。農山村の古老を訪ね、昔話や伝説、囲炉裏語りを聞き書きするうちに、一生日に当たらずに逝った女性たちの人生や歴史…
塩釜温泉高尾塚碑の裏手の高台に、かつて「塩原温泉芸妓(げいぎ)組合」があった。現在は更地になっているが、'90年代の住宅地図には載っているので、建物は最近まであったのかもしれない。今でもこの場所のことを「ケンバン(検番)」と呼んでいる。芸妓組…
鶴岡七日町は街道筋で、飯盛女を抱える旅籠屋が軒を連ねる宿場町であった。その後七日町、八間町は貸座敷業が多く集まる歓楽街となる。昭和5年に鶴岡の遊廓は双葉町に移転することになるが、当時の面影を伝える建物が現在も残っている。 割烹三浦屋は三階建…
震災後の整頓で、某図書館にあった松川二郎の「全國花街めぐり」(S4)が閉架扱いになったようだ。「参考」「禁帯出」シール付で、そもそも検索にかからない本だったのだが。肝心の関東エリアが誰かに破られてたし。分類コード368。こちらは復刻版。 全国花街…
行こうか池上 かへろか馬場 ここが思案の都橋 江戸期から明治前期にかけて、宇都宮宿の繁華街であった池上町、伝馬町、材木町に遊廓、いわゆる女郎屋や置屋が点在していた。他にも江野町、県庁前通り付近は「紅縁街」と呼ばれ芸妓屋が多く、尾上町(現本町)…
今市の「日光珈琲・饗茶庵」の建物を観に行ったきっかけで、栃木県北にあった遊郭・赤線跡が今どうなっているかに興味を持った。今でも妓楼やカフェー風建築物が残っていたりするのだろうか?世間には同じような興味の人がいるもので、赤線跡の写真集や研究…
休み。図書館で調べ物をしているうちに昼飯時に。久々にインド料理店ダンニャワードでランチ。老舗カレー店「ン NG」の向かいっていう立地がいい。店頭の椅子は、あくまで店員が客待ちでぷらぷらするためのもの。 ダンニャワードてのはヒンディ語?でありが…
塩釜温泉のホテル明賀屋駐車場に「高尾塚」の碑がある。文化13年(1816)11月に建立されたこの碑は、正面に「高尾塚」、他の3面には江戸の儒学者「山本北山」による撰文が刻まれている。この碑は、塩原出身の二代目高尾太夫の没後150年に、その身を哀れんだ…
先日烏山に行ったのは、烏山の街中散策とジャンボ食堂訪問、そして、山あげ会館でこの本を買うことが目的だったのだが、あいにく祝日の振替で山あげ会館はお休みだった。昼飯に立ち寄った焼きそば屋で、お店のおばちゃんが、この本の作者大森さんのご自宅の…
親不孝通りの「司」で飲んだ。司は創業昭和42年、遷り変わりの激しい飲み屋街では老舗中の老舗である。教授や女将の、よき時代の粋な遊びの話を聞きながらふと思った。親不孝通りの飲み屋街はいつ頃から存在するのだろう?その成立は?旧幕時代からさかのぼ…