がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

本県遊廓増設問題(1)(明治32年)

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明治32年9月に発布された栃木県の遊廓設置規程。その翌月に下野新聞に掲載された遊廓増設問題に伴う各地の反応。第一回は足利と田沼。常用漢字現代仮名で書き起こした。

本県遊廓増設問題(1) 下野新聞 M32.10.13

昨月十五日突然として発布せられし本県遊廓設置規程は、県民に一大喫驚と与えしは、今更言うまでもなき事にて、該規程中現在の妓楼に対し、遊廓地を指定し移転せしむとの一項においては、暫らく不可なしとするも、それすら彼の醜聲(しゅうせい)の因たるにかかわらず、大胆にも九箇所の遊廓を指定増設せしめんとするに至りては、早く既に県下各地の物議を生せしもののごとく、青年は先つ動き有志は次て起ち、増設に反対し一挙にして県令の取消を求め、これを貫かずんば止まざるの勢あり。今左に各地よりの報を掲くべし。
足利友愛義団の運動 足利郡足利町青年有力家の結合に成れる足利友愛義団は、当時本紙上に再三報道せるごとく、公娼存置の不可を論じ、あくまで廃止の目的を達せむとし、知事県会並内務当局者に向て、廃娼建議書を提出し、近くは廃娼演説会を開き、人心を鼓舞しもってその目的の貫徹に勉めしほどなるが、現時の県知事なる溝部惟幾氏は、何か大なる理由のありと見え廃娼建議書を字にせるにかかわらず、突然県令第六十号を発し、ひとり遊廓に対し縮少主義を取らざりしのみならず、かえってこれを増設するに至りしより、義団員諸氏の憤慨一方ならずまづ該県令の取消を求め、さらに進んで公娼廃止の素志を徹底せんとし、昨今熱心に協議中なりといえり。

足利地方有志の奔走

友愛義団員の一群は、前項のごとく熱心運動中なるが、足利町地方の有志者もおおいに該県令の不当と不都合とを鳴らし、これを取消さずんば栃木県の名誉を泥委(でいい)し去るに至るべしとて、同志の人士を紏合し、県令取消の建議書を本県知事に提出し、併せて内務大臣に陳状せんとて目下同志の調印を求め居るが、大抵取揃えし由にて不日委員を出県せしめ、更にそれより上京主務大臣に向て陳状すとなお同志の人々はこの際檄を四方に飛ばし、輿(世)論公義を喚起し、あくまで不当なる知事の処置を排撃するはずなりという。

田沼青年会の決議

安蘇郡田沼町青年の結合団体なる田沼青年会は、遊廓設置規程の発布にあたり、現に同地に対し新たに遊廓地を強制指定せられあるを見て、非常に激昂し、要するにこれ我地方民を侮辱するの甚しきものなりとて、会員大串廣平氏は遊廓設置可否の討議案を提出し、臨時会を請求せるより去月ニ十七日、本月三日(例会)、七日の三夜開会おおいに講究する所ありしが、大多数の賛成をもって断然これを排斥し大々的運動する事に決議せしと今その概略を報せんに九月七日夜臨時会を開き、相田幹事の開会の辞あり、会員大串廣平氏、田沼に遊廓設置可否いかんの問題を提出し一場の演説あり。内田、川田、原田の諸氏各賛成意見を述べ、ニ三の反対者ありたれ共決するあたわず、継続問題として次会に討議する事となしたり。十月三日夜(例会)引続き遊廓問題について討議する所ありしも、出席者少数にて決議する事あたわず散会せしは遺憾なりし。よって七日夜、臨時会を開会したり。来会者五十余名、相田幹事の開会の辞終わって、提出者大串廣平氏登壇し、存娼の弊害より説き出だして、田沼に遊廓設置不可なることを熱心に演ぜられ、内田、栗原、川田、相田、原田、大関諸氏の賛成、田村善十郎氏の反対あり。激論数刻ののち採決せしに、排斥賛成者多数にて遊廓排斥については極力運動する事に決議し、その委員として大串廣平、田村長三郎、川田勝之助、相田七郎治、小林粂蔵、内田新三郎、翏沼恒吉の七氏当選しそれより茶話会に移り、談笑快談散会せしは十二時頃なり。しかして委員会は去る九日夜開かるるはずなりし。

尚志会員の建議

同じく田沼町大字栃本青年の組織になれる尚志会(しょうしかい)なるものあり。該会はもっぱら学術弁論の研究をなすをもって目的となし、すこしも政令に容喙(ようか)せず、会員はますます自主独立の精神を養成しつつありしが、県令六十号遊廓増設については、青年をして不覉(ふき)の精神を減殺せしめ、おわりに国家衰亡の基因をなさしむるものなりとて、田沼町に新設の一項取消を請願せんとて、もっぱら運動中なりしが。この頃の町会に向こう一篇の建議を提出し、町会にては満場一致をもってこれを受理したりとしかして会員はなお足れりとせず、時宜を見て県知事に迫らんとする決心なりという。その建議の要旨は次号に記載すべし。

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