前回の「大正十一年の防火週間」で大田原花街の芸妓さん達の活動を伝えたが、その頃の名残を残すものが、ここ下町薬師堂にあるので紹介しておく。
入口近くの手洗い石であるが、芸妓さん達が寄贈したもののようで、
一 金四円ノ部 三枡家 三吉
松芳 〆松
枡都 竹松
勝奴
枡川 雪江
千鳥
一 金三円ノ部 小松家 チカ子
鈴の家 浜治
玉木ヒロ
福沢□ 呑喜
一 金二円ノ部 吉福萩 三木治
梅の家 小萩
山城家 八千代
玉福萩 玉助
梅萬 村子
豆千代
雀
小金
公子
丸家 小袖
福代 大正十年十月
福沢増福七郎 世話人
松福萩たより 渡辺安蔵
三太郎 渡辺藤吉
岡本桃太 田中鉄五郎
若松捨次郎 塩田岸太郎
石材寄贈 渡辺石材店
一 金拾円 渡辺安蔵
一 金五円 渡辺藤吉
ドドイツの創作でクレジットされていた松芳の〆松や枡都の竹松、丸家の小袖姐さんの名前もある。当時の看板、スタープレーヤーが寄贈者として名を連ねている。彼女らのお姿を確認する術はないものか。街の写真館が秘蔵する当時撮影した芸妓さん達のブロマイドとか。松井天山の「大田原町真景図」は大正13年作成だったはず。もう一度町並みを眺めてみよう。
続いて大田原神社、Puuさんの情報を元に旗立石の寄贈者名を確認しに行く。昨日は太子講だったのか、商工会の方が後片づけをしていた。
昭和十六年三月五日
大田原藝妓置屋組合
おお、これだこれだ。Puuさん情報ありがとう!