与一まつり始まる前、金燈籠付近散策してきたんだが、正法寺境内のお稲荷さん気になって手洗石の寄贈者名とか確認してたら境内であった方から貴重な情報が。正法寺門前にあった元下駄屋(M履物店)の建物を解体する際に建物の作りを見せてもらったら、入り口入って奥に急な階段があって
— がりつう (@garitune) August 2, 2014
二階は細かく区切られた複数の座敷になってたそうだ。いかにも貸座敷業の作り。正法寺入口から金燈籠交差点あたりは一番の繁華街で、明治40年の営業便覧をみると大正期に深川新地に移転した岩井楼、巴楼、武蔵楼、井丸楼の元の位置がわかる。前述の下駄屋の位置をみると「萬(よろず)楼」とある。
— がりつう (@garitune) August 2, 2014
萬楼は新地への集団移転に参加しなかった貸座敷。風紀上よろしからずな世相になり目抜通りのこの場所で果たしていつまで営業出来たのか。その後居抜店舗で下駄屋として使われたわけだが、学術的調査なく取り壊されてしまったのは非常に惜しまれる。
— がりつう (@garitune) August 2, 2014
正法寺正面参道はほんとに狭くて印象的だったんだけど、いつのまにか寺入口の「クロンボ」まで一気に更地になってしまった。
大田原のスナック喫茶クロンボはもうない pic.twitter.com/8N1HFK9iRF
— がりつう (@garitune) October 14, 2014