那須塩原市上黒磯から那須街道のある那須町筒地を結ぶ黒磯那須バイパスが建設中だ。晩翠橋付近の渋滞を緩和するこのバイパスは、那珂川を渡る「つつじ大橋」を含む2キロほどの工事だ。
新道の脇に並行して段丘下の筒地集落に降りる旧道が残っており、道沿いに石仏群が並んでいる。
個人的な目玉はその存在を知らなかったこの高湯山碑。デカい!
文化六己巳年
アーンク 高湯山供養塔
四月大吉祥日
文化6年(1809) 117cm×78㎝×32㎝
その隣は大正8年の徴農軍馬記念碑。第一次大戦後シベリア出兵で第三師団に徴発された愛馬たち きん、好門、瀬越、岩山、松平、人見、木材、萱野、長保、小石、小櫻、平沢号。
寛政11年の山神、寛政4年の庚申塔、文久4年の大黒天など。筒地村と岡室村が合同で建立しているものが多い。高湯山碑は「那須町史」の石碑リストによると所在地が新高久とあるから那須街道の道路拡幅でここに移動されたものかもしれない。
念仏供養塔
[右面] 筒地 岡室
施主 女人
[左面] 明和八辛卯年 右くろいそ
十月 左 たかく
十九夜塔と地蔵
石仏群のある旧道から段丘を下りて筒地集落に向かう。
カーブの山際に立派な屋根を掛けられた石碑があった。見た目は碑文のないただの石なのだが、何本かひっかき傷のような線が入ったこの石はなんなのだろう?
こちらが那珂川渡渉点に向かう道と思われる。現在は養豚場に施設があるみたいだ。降りてみたかったが、橋梁工事が行われていて入れなかった。
大輪地原 (那須東原)を東西に横切 って那珂川を渡り、筒地 から高久へと通じて原街道 に交わり白河に至る道を白河道といった。「黒磯市誌」によれば、元文年間に は鳥野目村と筒地村の間を流れる那珂川に橋をかけ通行者から橋銭を徴収していたという。昭和30年前後までは鳥野目・岡室・筒地地区の共同で那珂川に橋をかけて大いに利用していたらしい。
筒地集落
つつじ大橋(この名称、筒地とかけている)が観てみたいので向こう岸にまわってみる。
那珂川河畔公園から鳥野目河川公園に向かう川沿いの道が一般車両も通れるので新しい橋の下に近づくことが出来る。
グーグルマップのストリートビューだと行き来していた名残がなんとなくわかるのだが。
まだ黒磯側の段丘上には接続していないようだった。開通が楽しみだ。
筒地の石仏群の向かいの藪に正体不明のミドリの十字を持つ観音像があった。SNSで情報のやり取りをしたところ、那須街道沿いの腰掛松バス停のところに設置されていた交通安全観音が拡幅にともないここに置かれたものだと分かった。確かにうしろに観音像が乗っていたお立ち台もある。腰掛松バス停付近はブラインドカーブになっていて、停留所に停車しているバスを避けようとセンターラインを越えて事故になるケースがけっこうあったようだ。50年ほど前、重大事故のあった各地の危険箇所にこの交通安全観音が設置されたらしい。
参考文献「那須野ケ原の道」(H3)