細竹の六字名号塔道標 37°02'29.4"N 139°58'35.79"E
角柱 寛政8年(1796)56×24×21㎝
[正面]
南無阿彌陀佛
[右]
右 もむら
なか やつぼ 日光
[左]
左 大た王ら
寛政八丙辰年七月
三差路の道標。もともとは道を挟んで向かいにあったものか。現在向かい側は法面を玉石で積んでいるが、路面がこの高さまであったのではないか。
道標手前の分岐を左に行ってすぐ南西に延びる細道が「なか やつぼ」の名残だ。地図上でたどっていくと戸田から箭坪方面に向かっている。箭坪の庚申塔の脇の道に合流する感じ?「日光」は鹿野崎から波立、原街道を通って日光北街道に出るということか。
「左 大た王ら」は鳥野目方面。本郷町の白湯山供養塔前を通って奥州道中に出る。
「右 もむら」は現在の前の道だと河岸段丘を降りて那珂川沿いをを行くことになる。この先は私有地になるので確認できなかった。やはり段丘上を行き油井を経て百村に向かうのではないか。
そうなると「なか やつぼ」方面の名残りの細道入口の角にあったことになるのかな。
この道標がある付近はかつて赤淵(あかぶち)村といった。段丘の崖のローム層の色から付けられたと思われる。大田原藩領で天保年間の家数は1。明治9年に細竹村に吸収されるまで存在したらしい。