所在がわかってしばらく放置していた大田原新地の稲荷神社の手水石を観てきた。遊廓の敷地内には必ずと言っていいほど稲荷神社が存在した。楼主や娼妓たちが商売繁盛、家内安全を祈って建立した稲荷神社。廃業後楼の建物と一緒に神社の社も取り壊され、石造物は現在地に移動されている。
大田原深川遊廓 稲荷神社の手水石
[正面]
奉 納
[左側]
大正二年
拾月二十八日建之
大田原町
世話人 月井歌吉
[裏面]
新岩井樓
敷島
白梅 巴 樓
春子 福井
あやめ 千代野
こまめ 花香
松島 梅香
芭花 みさを
雲井
八重花 武蔵樓
かつらぎ 小春
梅川 小梅
にしき 小久
八つ橋 弥生
ことぶき 小金
あいそめ
靜花
[右側]
井丸樓 叶 樓
八千代 小花
三山 小新
竹子 小糸
高子 小芳
松子
あいそめ
新助
現地にいた方の話だと、この手水石のほかに遊廓関連の石碑がもうひとつあったとのこと。東日本大震災の際に倒壊、壊れた石は大田原神社の宮司さんに拝んでもらって処分してしまったそうだ。人の名前が彫ってあったのは覚えているが何の石碑だったのかはわからないと言っていた。供養塔かなにかだろうか?地震で倒壊するくらいだからある程度の大きさのものだろう。なにか手がかりがあれば。