がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

大山田、須佐木の映画館 河原坊劇場と山形屋

常設館ではないが、八溝山麓の劇場を紹介する。

黒羽東毛座について当時スタッフだった方からお話を伺ったとき、東毛座と「掛け持ち」での上映を行なっていたと教えてもらった、那珂川町大山田上郷の河原坊地区にある劇場の場所を観に行った。掛け持ちとは、1本のフィルムを複数の劇場で使用することで、劇場間をオートバイや車、自転車でフィルムを運び、同じプログラムを複数館で上映することである。



河原坊劇場
馬頭町大山田上郷951 現住所:那珂川町大山田上郷951
木造二階建 約100席
開業、閉館不明

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栃木の峠―峠でたどる暮らしと文化」桑野正光(2010)に、大山田上郷の河原坊地区から須賀川に抜ける小元峠を紹介するページがある。その記事中に河原坊地区にあった「河原坊劇場」が出てくるのだがその文章を紹介する。

この小さな集落に、「河原坊劇場」という大衆劇場があった。今も外観がそのまま残り、劇場で使われた長いすが近所の軒先に置いてある。来演者の中には村田英雄もいたという。この小さな集落にかつては料亭もあり、昼から三味線が聞こえるほどの賑わいであったという。その賑わいを支えていたのが砂金と葉煙草である。

ご近所の方に確認したところ、当時の河原坊劇場の建物はすべて壊されて、この工場が建てられたとのこと。手前だけが2階建てで奥が細長く平屋になっており、あやしいなとは思っていたのだが、ご近所にお住いの当時掛け持ち(フィルムの運搬を行う業務)をされていた方の話だと、この建物は玩具工場になってからの建物とのことだ。

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河原坊集落は雲岩寺、須佐木から馬頭の健武に抜ける街道(雲岩寺道、健武道 現R461)沿いにあり、また小元峠を越えて須賀川へ通じる要所でもあった。葉煙草の収納所のあった河原坊集落は大いに賑わい、劇場やパチンコ店、料亭まであったという。葉煙草収納所(現在は大野ゴム工業馬頭工場がある)へ通じる河原坊銀座通りは、葉煙草の納付払いの日には道の両側に長靴や下駄などの日用品や雑貨を出店が出たという。須佐木や馬頭の商店が出張していたのかも。ある方はその臨時の市で下駄を買ってもらって嬉しかった思い出を語ってくれた。

 

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かつての小元峠入口

この付近の葉煙草は江戸期より「大山田煙草」として有名で、近隣の地域でも副業として葉煙草の栽培を行っていた。須佐木や雲岩寺集落でも民家の脇に葉煙草を乾燥させる小屋があった。西那須野のほうだとかつては農家には蚕小屋があったりしたが、貴重な収入源だったのだろう。
また大山田下郷から健武にかけて古代より金の鉱脈があることが知られ(那須のゆりがね)産金がおこなわれていた。かつて猪沢(イノッツァワ)に金山があり、また何か所か砂金が採れる沢があって、昭和30年代まで砂金採りは行われていた。業者が採取した砂金を買い付けに来たそうだ。今も時々鉱物趣味の人が訪れるという。

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河原坊銀座通り かつての葉煙草収納所の場所には大野ゴム工業㈱が営業している。通りの中ほどに40年ほど前から営業するきらく食堂がある。昼時ともなると近所の現場や工場で働く人達や近所に住むご隠居さんなど、きらく食堂のご夫婦と味を慕う人たちでにぎわう。きらく食堂を始めた時には前の玩具工場はすでに営業していなかったそうだ。(玩具店は昭和42年には営業を終了していた)

 

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この建物は劇場当時のものでないことは述べたが、劇場があった頃のお話を聞いたのでまとめておく。

劇場は二階建てで表面は板張り、入口は現在の建物だと大谷石で覆われている付近で一段高くなっていた。劇場建物の左手に楽屋として利用された建物があった。集落の入口のクランクしている付近から劇場の脇に路地が伸びていた。椅子は背もたれなどない4人掛けの木製ベンチが2列で5行並んでいた。床は土間で水平、舞台があり、両脇に板張りで手摺りのついた1m幅くらいの二階桟敷があった。建物の裏には跳ね上げ式の窓(大道具搬入口か?)があった。

S30年代後半の入場料は子供20円、大人40円。その頃1日の日雇いの稼ぎが200円くらい。映画が上映されるのはひと月に1回か2回で、黒羽東毛座が掛け持ちで上映した。上映日が近づくとあちこちに手書きのポスターが貼られた。当初は白黒映画だったがS32、33年頃、ポスターに大きく「総天然色」の文字が躍った。カラー作品の映画がやってきたのだ。

掛け持ちで前の劇場からフィルムが届かずにしばらく中断して待つこともしばしば。途中でフィルムが切れて繋ぎ直すまで真っ暗な中しばらく待つこともあった。ブリキの入れ物(円盤などと呼んだ)に入ったフィルム缶が2、3本ずつ到着する。映画の上映がある日は子供たちが劇場に集まった。届いたフィルムを映写室に運ぶ作業を手伝うとタダで映画が観られるのだ。2人か3人のお手伝いの枠を巡って朝早くから子供たちが待っていたという。

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馬頭輸出玩具製作所 と読める。人形を作る縫製工場だったらしい。

旅芝居の一座が来ると、集落を「チンドン屋」が歩いた。チンチン ドンドン チンドンドンと鳴り物を叩きながらチラシを配る。多分一座の人たちが自分たちでやるのだろう。お化粧をして着飾ったチンドン屋に子供たちがぞろぞろとついていく。子供たちは親に行きたいよ、行きたいよぉとせがんだ。その頃は集落には子供が40人くらいいたそうだ。現在はこの近隣の5つ小学校が統合しても、この春の新入生は7人なのだそうだ。

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昔この辺りは働き口も限られており、山仕事ぐらいしかなかったのでみんな貧乏だった。でもまわりもみんなそうだったので、くやしいとか悲しいとかはなかったな、と語ってくれた。今は自家用車で仕事のある地域に通えるので、そんなことはなくなったんだけど、代々暮らしてきた愛する土地を守っていく苦労は図り知れないものがあっただろう。

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馬頭輸出玩具製作所の建物を裏側からみたところ

ご近所にお住まいの掛け持ちを手伝っていた方の話。
本業は建具屋さんだったが、若い頃、伊王野の伊王野倶楽部や黒磯の金剛館への掛け持ちを手伝っていた。東毛座の興行主の鈴木さんがこちらに来られる時はいつもお宅でごはんを食べて行った。体は小さかったが、絵の具で描くポスターの文字は達筆で見事なものだった。河原坊劇場で映画をやるときはお姉さんも頼まれて木戸銭(映画の代金)の徴収を手伝った。当時東毛座には助手が大勢いて、掛け持ちや看板作り、ポスター張りをやっていた。その頃は360ccの軽自動車でフィルムを運んでいた。家の一軒もない鍋掛街道は穴ぼこだらけの砂利道で、暗闇の中進むのは怖いし、当時の車はプラグかぶりしやすく大変だった。多いときは5か所くらい掛け持ちで上映したので、集めた木戸銭は相当な額になった。須佐木の山形屋だけでなく、南方や川上でも農家の広い庭や乾燥小屋を借りたり、須賀川の製材所を借りたりして興行を行った。母畑温泉(福島県石川郡石川町)や芦野温泉で興行したこともあった。


河原坊集落にはかつて旅館もあり、併設して飲み屋やパチンコ屋まであった。劇場は本当に掘っ建て小屋で、下水がなかったので大雨が降ると床が水浸しになって大変だったそうだ。

東毛座の手前にある永井ラジオ店さんと助手仲間のIさんと自分で、真空管の中古を利用してステレオをいくつも作って販売したのを覚えている。建具屋なのでスピーカーボックスを作った。店の前でレコードを掛け大きい音で鳴らしてデモンストレーションをした。

 

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山形屋
黒羽町須佐木161 現住所:大田原市須佐木161
当時の構造、席数不明
開業、閉館不明

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雲岩寺手前の須佐木に山形屋商店はある。山形屋は食堂と精肉店を生業としていたが、昭和30年代その建物は劇場として使われた。黒羽東毛座から掛け持ちで山形屋で上映し、さらに河原坊劇場にフィルムが回されていたという。

山形屋商店は芝居の公演でも使用された。旅芝居の一座も1週間ほど滞在し、舞台を上演したという。情報がないので雑文を書くよ。旅芝居といえば、西那須野に那須ヘルスセンターという施設があった。休憩室も兼ねた演舞場と入浴施設が合わさった芝居小屋の進化型だ。那須ヘルスセンターはその後スポーツクラブのスイミングの施設になったが、社名として今も残っている。大衆演劇の一座が短期間公演を行うんだが、一座の子どもがその間だけ近くの小学校に転入してくるんだ。やっと友達になったらすぐ転校で本当にかわいそうだった。

山形屋で思い出すのは、黒羽藩御用達鍛冶の山形屋であるが、そちらは今も後裔の方が金属加工業をされている。なにか関係があるのか?・・芝居好きが高じての小屋運営なら「忠治山形屋」のほうかもしれない。国定忠治の元ネタの講談だ。

何か新しい情報が分かり次第更新します。

河原坊劇場と山形屋の記憶、思い出、関係資料についてご存知なことがありましたら、書き込みして頂けるとうれしいです。

 

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 今回の劇場の情報は詰めが甘かったですが、旧峠情報に関しては間違いない!読んでるだけで楽しい旧道廃道愛好家必携の本です。