塩原塩釜に架かる大正~昭和初期の塩湧橋の様子。大きい画像はこちら。
当時この橋は塩原温泉の見所の一つだったらしく、塩原の絵葉書セットに必ず登場している。キャプション通り当時は北岸の塩釜温泉街から塩の湯へ向かう入口となる橋だったようだ。
明治43年の5万分の1地形図「塩原」より
この地図で見る限り、明治後期には福渡橋はまだ架かっていない。木製の福渡橋の古絵葉書を見たことがあるのだが、架けられたのは戦後だろうか?日本閣事件の舞台の近くだね。
現在の塩湧橋。北岸から橋を渡ると目の前に「八峰苑」があって、崖の際を通り段丘上に上がっていく。当時の写真から、崖淵に板を渡して道幅を確保していたことがわかる。
橋の手前に残っている旧橋の橋脚。
子供たちが旧橋脚上から川に飛び込んで遊ぶ姿を想像してしまったが、果たして水位は充分だろうか。
現在の塩湧橋も架けられてから50年以上経過しているそうだ。これからもずっと、箒川の翡翠色の流れを、人々の営みを眺め続けていくのだろう。
(写真撮影:2008.09.18)