以前上げた記事で「辻潤が塩原に来たときのこと」というのがあるのだが、その中で間抜けな勘違いをしていることに気づいた。
ダダイスト辻潤が1935(昭和10)11月に塩原を訪れたことを題材に、昭和初期の西那須野駅~塩原温泉行きの観光案内を試みようとして、中途半端な形でUPしてしまったものだ。もともとの文章は学生時代にミニコミに載せるつもりで用意していたものなのだが、肝心の部分の資料がみつからず憶測で書いてしまったことが悔やまれる。
辻潤の「ぼうふら以前」(S11)というエッセイは、塩原滞在中のことを書いたもので、現実は文中のように決して優雅な旅ではなかった。辻はすでに精神的な病を発症していたし、文筆家としてはヒット作も生み出せず、全国のファンを頼って放浪する日々だった。塩原のファンを訪ねるもやっかいになれず、案内してもらった温泉旅館が甘湯温泉霞上館(がじょうかん)だった。
現在、塩原温泉郷には甘湯温泉はない。かつての塩原七湯はおろか、現在の塩原十一湯にもその名はない。ずっと疑問だった甘湯温泉霞上館の唯一の手がかりが、八方道側から入る小太郎ヶ淵の入り口にある朽ち果てた看板だった。
当時、甘湯温泉霞上館は甘湯沢沿いの温泉宿に違いない、と思い込んでいた。
当然、文中の「万人風呂のイの一号」とはなんなのかという疑問が湧いた。かつて塩原の名所に「万人風呂」という場所があったという話は知っていた。現在は「上水道万人風呂配水池」の名称しか残っていないので、その付近かと勝手に思い込んでいたのだが、地元のK先生から伺ったところ、「万人風呂」は須巻地区の袖沢にあったのだという。持ち金もないし、粗末な宿に宿泊したが、いいところを見せようと万人風呂の名前を出したとか、 甘湯沢からも歩いていける距離だし、辻潤も万人風呂に行ったのかな、などと思っていたのだが・・。
先日、「霞上館」という旅館名をネットで調べていたら、こんな古絵葉書を発見した。
注:購入品からのスキャンです
名所「万人風呂」がある旅館の名前が「霞上館」なのだった。「万人風呂 霞上館」はものすごく須巻温泉に近い位置にあるのだが、須巻と区別するため当時は甘湯温泉というくくりだったらしい、なんとー!!(実際は袖ヶ沢温泉という別名称がある)
次回、「万人風呂 霞上館へ実際に行ってみる」の巻。