青葉通り沿いの小太郎ヶ淵入り口前から箒川の渓谷に下りていくつづら折の道がある。専売公社(JT)の塩原寮が途中にあるこの道が「遊園道」だ。
これは90年代の住宅地図に着色したもの。オレンジが青葉通り予定線、黄色が万人風呂に向かう道路として開削された「遊園道」だ。「遊園」という名称が、万人風呂がいかに当時の塩原にとって一大レジャーランドであったかを物語っている。青葉通りと重なる辺りで分岐する細道が「小太郎ヶ淵」への道。
青葉通りからつづら折れで上がっていく道も現存している。それでは箒川の流れる渓谷下に下りていってみよう。
JT塩原寮を過ぎ坂道を降りていくと、つづら折れの部分に「塩原温泉川崎大師厄除不動尊」の看板が立っている。川崎大師は万人風呂に向かう道沿いから上がる須巻富士山頂の不動尊だ。
現在の遊園橋はS32年に掛けられたコンクリート橋だ。この橋の存在を知る前は下流一本隣の「塩湧橋」ルートを疑っていた。戦前の木橋の絵葉書が存在しているからだ。しかしそのルートを見直すと、この橋は塩の湯へアクセスするのが目的の橋であり、逆に矢板の平野から八方越えで塩の湯、塩原温泉の箒川北岸に渡るために古くからあったルートであることがわかる。
現在、塩釜温泉を通過する際、ほとんど見落とされてしまうこの小さな橋に、そんな歴史があろうとは思いもしなかった。