奥州街道沿い本宮宿南町の追分
劇場から数十m隔てて旧奥州街道が通る かつて本宮宿は奥州街道と会津道、三春道 相馬道が交差する交通の要衝で この付近では屈指の賑わいを見せた 飯盛女もかなりの数がいて遊廓も存在した 鉄道の機関区設置を郡山に譲ったため発展の機会を失った pic.twitter.com/xEIOsZ46oG
— がりつう (@garitune) 2015年5月6日
普度供養塔 天保14年(1843)
[正面]
右 あい津
普度供養塔
左 江戸
[右]
施主 大内良忠恕信
[左]
天保十四卯年十月
十七日
普度はすべての者を救う「衆生済度」が仏陀を意味する「浮屠」を表していると考えられ、旅の安全を祈って建てられたもの。明治16年(1883)の道路改修までは、奥州道中と会津街道が分岐する観音堂北側に建てられていた。その後数か所を経て平成22年に現在地に移設された。大内良忠恕信は本宮南町の当時の名主。
太郎丸供養塔と 小沼幸彦の歌碑
太郎丸供養塔
正安3年(1301)に建てられた供養のための塔婆で左三分の一程度が欠けてしまっている。この碑は文化13年(1816)5月、日記沢に行く道筋で発見された。国学者 小沼幸彦は「岩井の清水」への道しるべであると考え「岩井考」を書き遺した。
旅人よ岩井の清水見むとならば このいしふみをしるへしてゆけ
参考:現地案内板