がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

鍋掛宿・越堀宿を歩く

那須野が原博物館の企画展「じっくり地図をみる」の企画見学会「昔の地図を持って奥州道中を歩く」に参加してきた。「奥州道中分間延絵図」を見ながら、鍋掛宿・越堀宿のエリアの史跡を見て歩く集い。講師は県の歴史の道事業にも関わっている松本氏。

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まずは愛宕峠切通しまで戻って鍋掛の一里塚をみる。ここはかつて愛宕坂、愛宕峠といい、その頂きに一里塚があったが、昭和40年代土砂採取により南塚が消失、平成6年3月にはさらに道路拡幅で法面を削り北塚も消失したが、あった場所から11mずらして復元したものだ。昭和44年に市の文化財に指定されているのに何故つぶすかね。南側に拡幅すればいいだけなのに!寺子の一里塚も50m動かしといて一里塚公園とか、わけわかんない。中田原の一里塚も拡幅でこっそり動かしてるよ。これは実際に工事に関わった方から聞いたので間違いない。

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芭蕉の「野を横に馬牽きむけよほとゝぎす ばせを」の句碑(文化5年建立)のある鍋掛公民館八坂神社前。この句碑、もともとは鍋掛神社付近(愛宕峠鍋掛の一里塚の奥)付近にあったんだって。現在、八坂神社の境内であるこの場所には高札場があったという。高札札は、黒磯郷土館にひっそり展示してあった。

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探してみたが部分画像しかなかった。でもどうせならすぐ近くに展示した方がいいんじゃないかと思う。日新の館とか。

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絵図のその部分。五街道分間延絵図のデジタルアーカイブ化激しくキボン。

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正観寺の門は、もともと本陣にあったものだそうだ。現在の本陣をされていたお宅の正面にある姿を想像してみるが、相当でかいよ、この門。

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勝手に鍋掛宿側から那珂川渡しに降りたらいいな、と思っていたんだけど、案の定越堀宿側からでした。

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黒磯郷土館所蔵、越堀宿の助郷人馬札。

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絵図では、県道60号の伊王野方面の道(道標があるらしい!)は「村道」と書かれていて、その一本北の細い山道の方にはもっと詳しく「古往還 伊王野ニ 二里」と書かれており、こちらの道のほうが扱いが上である。再訪して辿ってみねば。

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越堀宿の本陣・高札場があった付近。問屋はこの向かい。黒磯市誌の宿内屋号図の仙台屋の位置から、ずっと郵便局が本陣の位置だと思っていた。「仙台屋」という酒屋が今も営業中だが、どうやら江戸期にあった場所より移転しているみたいだ。

途中、日新の館で靄厓作品の熱いPRがあったりして、なかなか楽しかった。せっかく学芸員さんと話せる機会だったのに、乙連沢の堀割の件を確認すればよかったな。