がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

蛇尾川の洗い越しと渡渉点

那須野ヶ原那須連山から流れる河川が作り出した複合扇状地である。その中央部に流れる蛇尾川(さびがわ、じゃびがわ)と熊川(くまがわ)の中流部は水無川で、水流は地中を流れている伏流水となっている。下流に向かうにつれ、堆積物が大きい石から細かい土や泥に変わるため水の浸透率が下がって、通常の地表に水が流れる川となる。

「図説那須野の地下水探査記録」によると、蛇尾川は大蛇尾川と小蛇尾川の合流地点から約1kmは地表を流れているが、その先右岸に緑色凝灰岩が露出し、それ以降両岸とも砂礫層で覆われ、表流水は減少、表流水の少ない時期でも伏流し始めてから約1km、多い時期でも約5kmで伏流し水無川になるという。標高460mから標高230mの約14kmの間は伏流し水無川になっている、とあり、水流が地表に現れるのは権現山丘陵東南方付近、とある。伏流水の大部分は透水層の基底部である深さ3mのところを流れ、表流水の少ない渇水期には半透水層と不透水層の境、約6mのところを流れているという。

今回は蛇尾川を渡る「洗い越し」とそのほかの渡渉点を紹介する。洗い越しとは道の上を川が流れるようにしてある場所のことであるが、蛇尾川の洗い越しは普段は伏流している地点であり、台風や大雨のあとでないと表流水がないので、普段は普通車が安全に通れるように重機で整地された河原を横断する道である。いわゆる「沈下橋」のようにコンクリートで施工された道路ではないため、大水で路面がえぐられてしまうことも多く、濁流が流れていて川底が確認出来ない場合は普通車での横断は危険である。



高林の蛇尾川の洗い越し(標高371m)


高林側からの河川への降り口 4年9月24日撮影


台風で大雨が降り、洗い越しが洗い越せるまたとないチャンスであるが、前述の通り普通車では洗い越すのは危険。路面の安全が確保されるまでは通行止めとなる。

蛇尾川の洗い越しに表流水が流れる場面は珍しいので、結構洗い越しファンが訪れている。そういう自分も来ているわけで。

 

この洗い越しを境に上流が上横林・高林、下流が洞島の境界線になっている。また右岸を蛇尾川沿いに通る旧会津中街道を境に西が横林、東が洞島の境界線になっている。
この渡渉点は会津中街道のルートとなっており、昔からある横林~高林間の最短ルートであった。



「図説那須野の地下水探査記録」によると、蛇尾川は平均川幅200m,、最大500mに及び、 乱流甚だしく、河道は40年間に400mも移動した場所も知られている。上横林より下流、両岸の無栗屋、横林、接骨木、北和田、上中野、遅沢、槻沢、関根、下中野、戸野内一帯はかつての蛇尾川の洪水時の乱流地域である。横林、接骨木の街道筋の集落はかつてはもっと蛇尾川沿いにあったものが頻発する洪水被害により移転したものだ。
蛇尾川上流部の表流水の流量は平時は1~5㎡/秒だが、集中豪雨等により河川が氾濫すると、平常の100倍に達することもあり、流下した「れき」の大きさも1mに達するものも見かけることがある。出水も減水もともに早い。

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高林の洗い越しから4キロほど下流に笹沼の洗い越しがある。

笹沼の蛇尾川洗い越し(標高306m)


R4年9月24日撮影

右岸には自由学園那須農場、左岸にはブリヂストンのテストコースがある。左岸は笹沼~波立(はったち)に続く道で、右岸は渡渉点から直線距離1.5キロで接骨木街道の「赤坂道(あかさかみち)」入口につながっていたのではないか。現在の通称「赤坂道」は三島ホール脇に出てくる道を言うが、赤坂から大貫~宇都野方面に通じる「たけさん道」があり、この道は大貫、宇都野方面からは「波立道」と呼んだ。



豪雨、台風による洪水は年に何回かあるが、出水後平常に戻る期間は約2週間ほどだという。

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大田原春雄先生によれば、蛇尾川のサビ、とは朝鮮語のsap(サップ)刃物や鋤、転じて砂鉄のを意味する言葉で、砂鉄の川の意味であろうという。町島の水口(みなぐち)とは砂鉄の純度を高めるための金流川(かんながわ)の水の取り入れ口であると。

那須野橋(標高265m)

原街道渡渉点付近から国道4号線の那須野橋


東関根渡渉点(標高250m)

蛇尾川は国道4号線の那須野橋を過ぎ、東関根付近まで来ると伏流していた川の流れが時期により地表に現れる。この付近にもかつては渡渉点があったとみられ、車両の通れるような洗い越しとして整備はされていなかったが、河川敷に降りられる作業道が作られていた。渡渉点でもあり、貴重な水を汲みに来る道でもあったのだろうか。

右岸の東関根と河川敷への降り口

以前から東関根と下中野を結ぶ渡渉点であったこの場所に新たに市道新南下中野線が建設され、蛇尾川にかかる令和大橋が作られた。橋自体は完成しているようだが、開通はまだのようだ。

令和大橋(標高250m)

令和大橋より蛇尾川上流方面 R4年9月30日撮影 

台風後で普段はない川の流れがみられるが、普段は川岸の断崖から伏流水がチョロチョロと流れ出して小さな泉が出来ている場所だ。

令和大橋より蛇尾川上流方面

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今泉大橋(標高239m)

今泉大橋より蛇尾川上流方面 R4年9月30日撮影

今泉大橋より蛇尾川上流方面 R4年9月30日撮影

今泉大橋より蛇尾川下流方面 R4年9月30日撮影

右岸の起伏が権現山(標高285m)から続く竜尾山(大久保山 標高281.6m)と呼ばれる丘陵で、通常はこの付近まで伏流している。



今泉大橋はライスラインの新設によりS48年8月新設架橋、それ以前の金田戸野内と三谷に通じる渡渉点に向かう道はこれだったのではないか。現在は藪に覆われてしまっているが、河川敷に降りる作業道があった記憶がある。

 

権現山から河川敷に降りてくる坂。


登谷橋(標高230m)


蛇尾川 登谷橋より上流方面

蛇尾川 登谷橋より下流方面

登谷(とや)は今泉の小字名。トヤとは山の鞍部、山中の猟師の小屋、出屋敷、新屋敷のことをいう。この渡渉点に出てくるルートが竜尾山丘陵の鞍部でのちのち切通したものか。今泉の川沿いの集落が新屋敷にあたるのか。たぶん新屋敷のほうではないか。

登谷橋は災害復旧工事により木橋が架設されたが、S50年3月に永久橋に新設架橋された。石林から今泉に向かう「カノ道」から竜尾山丘陵を切通してこの蛇尾川の渡渉点に通じている。

登谷橋手前の切通

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 今泉橋(標高226m)

蛇尾川 今泉橋より上流方面 R4年9月30日撮影


県道大原間大田原線上今泉線、沼の袋(紫塚)と今泉に通じる道路にある。昭和32年3月に木橋より永久橋に新設された。

蛇尾川 今泉橋より下流方面 R4年9月30日撮影



参考文献:「大田原市史後編」「図説那須野の地下水探査記録」渡部景隆、提橋昇