東関根の火伏せの愛宕さまがある林に、文化7年(1810)建立の馬頭観音の道標がある。台石が道標になっておりその文字がなんと書いてあるのかが長年の疑問であった。
では肝心の道標部分を見てみよう。当時だって俺のように読めない人がいたはずだよ。誰得、くずし字?
「なすゆ」はまあ無難なところだ。「す」が変なのは、「春」のくずし字だからだ。
ひらがなは漢字をくずしたもの、簡略したものだというのはご存じだろう。例えば「す」は「寸」という字が変化して出来たものだ。しかし「す」という音を当てるのに使った漢字は他に仮名文字だけでも「春」「須」「数」「寿」がある。明治33年の「小学校令施行規則」によって仮名は一音一字に選定され、それ以外の仮名は「変体がな」と呼ばれている。蕎麦屋や寿司屋の看板で見かける字だ。絵図とかを見ると地名の漢字での書き方はある程度決まっていたはずなのに、あえて当て字で書く意図は何なのだろう?書きものしてて思いだせなかったから、とかじゃないんだよ。くずし字知ってるような知識人が銘文書くと、ちっとしこっちまう(ちょっと恰好つけてしまう)もんなんだろうか。せめて「仮名文字」の範囲で書いてほしいよまったく。
その隣、一文字目は「志」かな。二文字目は「好」?だと読みはコウ、ヨ、ヨシあたりか、これは保留。三文字目は何となく「沢」か「浜」に見える。
「下野掌覧」より
ここで地図を広げ、東関根を中心として、該当しそうな地名をピックアップ。「し」で始まる地名は、島方、下中野、塩野崎、塩原、鴫内、塩沢あたりかな。ん?塩沢?塩沢の湯(板室温泉)か?「お」と読む漢字、かな文字を「くずし字解読辞典」で探す。
「緒」のくずし字と特定。
右
な春ゆ
道
志緒沢
反対側
いがち?
・・まあいろいろあって
左
波堂知
波立ではないかと。
那須湯、塩沢はここから20キロ程離れた温泉地、左は6キロ程離れた村だ。温泉地っていうと、観光、旅行みたいなイメージだけど、当時の農民も農閑期は温泉に湯治に行ったからな。まあこっそり物見遊山気分だけど。
鎮守の石仏はもともとそこにあったものだと現地の人は言っていたが、すぐ北にこの画像の分岐がある。左は「たつみち」を通って波立へ。右は蛇尾川渡渉点方面だ。
たつみち 槻沢側から東関根方面をみる
塩沢、那須湯に向かうには、原街道石林通りのルートと推定される蛇尾川渡河点を通り、大原間から高林街道に出るのが一般的か。でも高林街道は途中で波立を通るんだよな・・。または蛇尾川渡ってすぐ、上中野方面に向かう波立道てのがある。那須湯は黒磯本郷町まで行って、那珂川の右岸か左岸を上がっていくのかな。
波立には大田原藩主の旅の安全を祈る 「城主安全碑」 があり、 板室温泉神社の境内には大田原藩主が寄進した石灯籠がある。大田原藩主一行が塩澤の湯を訪れる際に、石林からここ東関根、波立村を通って高林街道を百村、 塩澤に出掛けていたのではないか。
「東関根の馬頭観音の道標」解説文の修正作業を元に記事にしたものです。