がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

2006-01-01から1年間の記事一覧

カマノフタ

今日はカマノフタ、地獄(冥土)の釜の蓋が開く日で、昼にタンサンマンジュウを作って仏壇にお供えをする。親戚からいつももらうタンサンマンジュウの裏にはミョウガの葉が敷いてある。ミョウガには解毒効果があるとされ、日持ちさせるためのものか?ひいば…

カストリ

本格粕取り焼酎 天鷹カストリを呑む。酒粕を蒸留して造る粕取り焼酎。ワインの絞りカスを蒸溜したのがグラッパ、日本酒の絞りカスを蒸留したのがカストリ。匂いが独特だと聞いていたが、悪くないよ。「カストリ雑誌」ということばがある。戦後相次いで出版さ…

カプリチョーザ@東宿郷

宇都宮に買い物へ。夕飯時、「すり鉢ラーメン」を食べに行くには時間が早く、「びっくりドンキー」に行こうという話になり駅東へ。現着してみるとドンキーは撤退して既に営業していなかった。宮グループもあんなことになっているし、まだまだやれると思うの…

オテンノサン

今日は一区の「オテンノサン」だそうで、親戚が赤飯を持ってきた。オテンノサン(お天王様)は本格的な夏を前にした天王様、つまり午頭天王(ごずてんのう、須佐男命の別名)のお祭りで、疫病除けや田畑の病虫害除けを祈願する祭りだ。以前は各地区でみこし…

タカントーロー

7月上旬はタカントーローの準備の最盛期だ。タカントーローとは高灯籠(たかとうろう)の栃木県北の方言で、お盆に初盆の家で立てる飾りである。青竹を十字に組み、てっぺんと横棒の端を杉の葉が挟み込まれた縄で結び、横棒に灯籠をぶらさげたものだ。今でも…

アメ地蔵

大田原の城山と元町の境の道を、蛇尾川の河川敷に降りていく坂の途中に「清水地蔵尊」がある。大女高の裏手の元町2丁目は、以前は清水町という名前であった。清水地蔵尊は通称「アメ地蔵」「いぼ地蔵」と呼ばれている。皮膚病やできものを治してくれるお地蔵…

鴻華@扇町

6・25歩く会の打上げで行った「鴻華」の堅焼きそばのうまさをツマに話したら、久々に行きたい!という話になり家族でメシを喰いに行った。現在が21世紀であることを疑いたくなる見事な中華食堂っぷり、気心知れた友としか来れない独特の雰囲気は貴重である。…

大山元帥墓所

大田原街道沿いの大山元帥墓所参道の並木が一部伐採されていることに気付いた(荒井さんちの裏)。街道沿いから50mくらいに渡って両側ともだ。例の田園空間博物館のための駐車場の整備のため?こんなことなら早めに写真撮りにいけばよかったな。「會東照大…

野いちご

ツマが風邪で国際医療福祉病院に連れて行った。駐車場から建物に行く道の傍らに野いちごが生えていた。正式にはキイチゴ。調べたらバラ科キイチゴ属は日本に50種類くらいあるんだって。 これは、クサイチゴでいいのかな?小学生のとき「野いちごのうた」って…

野のおやつ

今回、会津中街道を歩いて、とても興味深かったことがひとつあって、それは、この新緑の季節、旧道沿いの野山は、「野のおやつ」が豊富だということ。僕らより上の世代、少年時代に野山で駆けずり回って遊ぶのが当たり前だった年代の人達にとって、食べられ…

会津中街道、田代から上小塩を歩く

恒例の会津中街道をたどる旅。田代から上小塩までを行く。田代集落裏の山を越えて(田代峠)林道桑原田代線に入り、大川ダムの建設により沈んだ旧桑原集落に想いを馳せながらダム湖の若郷湖沿いの林道を行く。新桑原集落で昼食をとり舟子集落、舟子峠へ。日…

別府の一里塚

福島県の塩川町に米沢街道の別府の一里塚がある。R121から分かれる旧米沢街道への分岐点には文久3年(1863)の道標があり、20mほど入ると、左右にこんもりとした緑に覆われた塚がある。かつては西塚の侵食が著しかったが現在は修復され素晴らしい景観をなし…

さなぶり

おじさんが、さなぶりの祝いの餅を持ってきた。さなぶりは田植えの終わりに田の神を送る祭で、「さ」は「田の神」のこと、「なぶり」は「昇り」が変化したもので、田の神が天に昇るという意味だそうだ。さなぶり餅はホントは小麦で作る餅なんだが、やっぱり…

どじょっこ大量発生

この時期大雨が降ると、うちの近くの田んぼ道でおもしろい現象がみられる。田んぼの水があふれて道に流れ出すのだが、なんとドジョウが大量にピチピチと打ち上げられるのだ。といっても今回見たのは2~3cmくらいの赤ちゃん泥鰌なのだが。 ところでドジョウ…

白河宿を歩く(覚書)

白河宿は、奥州道中とその脇街道である原街道(原方道)の終点であり、またさらに北へ向かう白河街道・奥松前道中(広義の奥州街道の続き)の起点でもあった。「白河風土記」にみられる文化年間の宿内を見ていく。参考:筑波大学付属図書館所蔵 白河城圖戊辰…

寄居、よりいっそう満喫

先日の奥州道中の復習も兼ねて、寄居付近をうろうろしてきた。 「那須町の石仏芦野編」の巻頭にある地図に、奥州道中沿いの本郷手前に「道標」の表示が二ヶ所あったので、これを探すのがメインで、あとは山中大久保の馬頭尊二つと旗宿道の豆沢(ずさわ)の馬…

那須野が原博物館に道標?

那須野が原博物館に「地図をひもとく-日光・塩原・那須の絵図と地図-」を見に行った帰り、駐車場に戻る時に、何気なく庭園を通っていったら、あれ?この塔碑は一体!? これは烏ヶ森参道入口の道標と同じもの?真ん中で折れて修復した跡があるけど、「烏ヶ森…

横林~高林間、不通。

今日、上横林~高林間の川原道を通ろうとしたら、ゲートで封鎖されていて、通過できなかった。先日の大雨で地上を流れたのか、道がえぐれて無くなっていた。 横林の追分道標を右に入り、蛇尾川を渡るルート、かつては会津中街道として往来が盛んだった通りだ…

奥州道中の寄居~白河宿女石を歩く

奥州道中の寄居~白河宿女石を歩く。スタート地点の寄居本郷の旧道沿いに向かうために、まずはJR豊原駅から3km歩かねばならなかった。途中水場のある山道は、雰囲気があって退屈はしなかったが。 雰囲気のある石仏群のある奈良川沿いの戸上商店の丁字路から…

「さつき」のメンチ

念願の「さつき」に潜入。 話に聞く「メンチ」をメニューに探すも載っていない。裏メニュー?とにかく目的を果たすべく確認すると、ありますよ、とのこと。メンチを定食で注文。ホロ酔いのフワフワした意識に有線の演歌が流れ、酔っ払いのたわいないおしゃべ…

昔日の栃木県と宇都宮の大古地図展

行ってきました「昔日の栃木県と宇都宮の大古地図展」at清明館。アマチュアさんの収集品かつ入場無料ということで、あなどっておりました!!おなかいっぱいです。明治10~40年代の下野新聞付録を含む県全体の地図、ロットリングで引いたようにやけに地名も鮮…

宇都宮の変貌ぶりに驚く

久々に宇都宮に出る。御本丸公園(城址公園)の近くを通ったので、建設中の復元工事現場を一周してきた。何時の間にこんなことになっていたのだろう?工事は2002年から始まっていたようだ。月曜なので資料展示施設の清明館は休みだった。宇都宮と栃木県関連…

二幸@木幡

弁当を事務所に忘れてきたので外メシ。初めての「二幸(にこう)」 外見もすごく地味だが、店内も・・。昭和50年くらいで時が止まっている感じ。・・あ、でもテレビが液晶だ(笑)柱に止められているフックみたいのは栓抜きだよね?懐かしい。カツ丼を頼む。…

やしおのカラシチャーハン

矢板に道標を観に行く。まずは幸岡山下の御成婚記念道標。内川の支流の近くの畦道沿いにあった。何故こんな畑の真ん中に道標が?次は成田榎田へ。一つの石仏群の中に二つ採取すべき塔碑があったことに家で調査書を確認するまで気づかなかった。 今日のお昼は…

会津中街道田代通り沢入~田代を歩く

会津中街道田代通り沢入~田代を歩く。道中四箇所で白湯山信仰の石碑を見かけた。南会津から三斗小屋宿を経て白湯山に参拝に行くには、大峠越えの会津中街道ルートを通ることになる。今回のヤマ場は塔のへつりの東岸を通る道のり。凝灰岩の岸壁が侵食されて…

どっかつ。

親戚からウド(独活)をもらいましたよ。初ものです。 セロリとか独特の香りの野菜って昔はダメでしたが、いまは大好きです。歳をとると嗜好が変わるのは何故なんでしょう。そのうち、肉はあまり好きじゃない・・、とか言い出すのでしょうかね。 さっそく板…

カノ道を往くのさ

地形図を眺めていたら、石林のカノ道とその延長の古道が、市野沢の滝まで繋がっていることに気づいた。岡交差点近くと富池の温泉神社に道標があるようなので、撮影もかねて出かけることにした。日曜の朝小雨の中、車を走らせる。石林の原街道と市野沢の奥州…

みしまや菓子店

父とタラボを探しに行ったが、ボウズ。 帰りに和田屋で大福でも買うか、という話になったが、 父が「みしまや」へ行こうと言った。聞いたことがないので 場所を聞くと、西那須野幼稚園の裏だという。・・そういえば あのへんにお店があったような気がするな…

ざくっ、じゅわっ、くぅっ!!

とんかつが好きだ。ロースカツ派だ。ヒレカツには脂身ジューシーなカツ本来のロマンがない。 今日は俺のホームグラウンド、「とんかつ高田」に来たのだ。 会社で玉砂利を洗っていたら、高田のしじみの味噌汁を思い出してしまったからだよ。 でもせっかくだか…

奥州街道 大田原宿~寺子宿を歩く

大田原宿寺町の鉤道なためさんとまるみやさんと俺で、奥州街道の大田原宿~寺子宿を歩いた。出発は午前7時30分。下町薬師堂から金燈篭交差点、寺町、龍頭城へと大田原宿の面影を残す町並みをじっくりと散策した。本陣・副本陣跡は当然跡形もないんだが、21世…