がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

会津中街道田代通り沢入~田代を歩く

f:id:gari2:20190320223355j:plain

会津中街道田代通り沢入~田代を歩く。道中四箇所で白湯山信仰の石碑を見かけた。南会津から三斗小屋宿を経て白湯山に参拝に行くには、大峠越えの会津中街道ルートを通ることになる。今回のヤマ場は塔のへつりの東岸を通る道のり。凝灰岩の岸壁が侵食されてできた窪み部分が通り道だったという。いくらなんでもここがメインストリートとは思えない。阿久戸に東堂山観世音の道標があり、「右 塔のへつり 田嶋至 左 馬ミち」とある。私見としては荷駄は左の馬ミちを通り、物見遊山で塔のへつりを観に来た人は川沿いの右の道を行ったのではないか。ちなみに東堂山とは、小野町にある正観世音菩薩を祀る東堂山満福寺で、家畜守護の信仰を集めた場所だった。

f:id:gari2:20190320223430j:plain

下野街道=会津西街道 松川街道=会津中街道会津中街道は、阿賀川(大川)の東岸を行く田代通りと、松川で西岸に渡り桑原まで行く小出通りの二つの行き方があったという。今回歩いた田代通りは、小松川~大窪~沢入~水門~塔のへつり~白岩~湯野上~ 田代~桑原というルートだ。メインルートは小出通りだったというが、わざわざ阿賀川を西岸に渡ってまた東岸に戻る意義はなんなのであろうか。会津西街道へ抜けるため、とか明白な理由があるならまだしも。