がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

会津中街道 野際新田宿から大峠を歩く


会津中街道を歩く会、野際新田宿から大峠の回。
昨年秋の塩生から野際新田宿までの行程に参加できなかったので、今回はぜひとも参加したかった。3年前、往路で三斗小屋宿から大峠を歩く機会を逃していたせいもあり、大峠にはずっと執着があったのだ。

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観音沼と道を挟んだ反対側の藪の中に、野際の一里塚がある。そこから伸びる山道を辿ると、ちょうど観音沼の駐車場脇附近に出てくる。大峠林道を渡り、観音沼側の林の中に旧道が残っている。

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しばらく行くと、台座に「観音道」と刻まれた馬頭観音像が建っている。東堂山の碑の横を通り林から出てくると、舗装路の林道に戻ってくる。この附近から野際新田宿の集落が始まる。野際新田宿は会津西街道の代替ルートとして会津中街道が整備された元禄8年に作られた宿駅だ。

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化政期には10戸、戊辰戦争で全戸焼失し明治4年で8戸、現在は2軒の茅葺きの民家が残っている。

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観音沼から2.5キロほどアスファルト舗装された林道を行くと、「奥州駒返し坂」の説明板が設置されている。北側の斜面を上がっていくと元禄8年に建てられた「奥州駒返坂の碑」がある。旧道は野際新田宿を出て、林道を左側に逸れ、つづら折でこの碑の処まで上がってきたという。実際の旧道は現在の林道と付いて離れて、少しずつ高度を上げていったようだ。今となっては、昔から場所の変わらぬ塔碑や渡河ポイントの前後しか正確にそのルートをみつけることができない。

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5.7キロの地点の林道沿いに気象観測の施設がある。左手の土手にはかつての取り付きの跡が僅かに残っている。その先にしっかりと道跡が残っており、小高くなった部分が「中峠」であるといわれている。峠頂上には馬頭観音が鎮座している。



9キロ附近に鏡沼へ向かう道との分岐がある。鏡沼には沼っ原の子守石と題材の良く似た物語が残っている。

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少し行くと大峠の一里塚だ。現在の林道の東側に左右の塚がある。旧道はこの塚の間を通って、現在の登山道から逸れたということだ。

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この附近、地面に大きめの石がゴロゴロしている区間がまばらにあり。当時の石畳の名残だと云われれば納得するしかないが…。下野街道の石畳跡は素直に感動できたんだけど。
このあと二ヶ所ほど雪渓を渡り、笹薮を抜け、つづら折を上がっていくとついに視界が開ける。

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ようやく大峠に到着。観音沼から10.4km。この開放感尋常じゃない!!天候もよくさわやかな風が頬に心地よい。

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流石山側の斜面に上って峠を見下ろしてみる。今でも塹壕跡がくっきりと残されている。

ALPSLAB routeによる
会津中街道 大峠の探索