会津中街道(松川街道)交流会のイベントで野際新田の古民家の片付けをお手伝いする。
会津中街道絵図より
沼尻峠の坂を下ると、野際の一里塚があり、再び坂を上がると野際新宿だ。野際新田宿は、会津中街道が整備された元禄8年、宿駅として新たに作られた集落だ。左手には観音沼。東側の畔には觀音堂が祀られている。絵図には 野際新宿より三斗小屋新宿迄弐里五拾六町 と次の宿場である三斗小屋宿までの距離が書かれている。宿の北側に新関とあり、関所の存在が描かれている。
現在、野際新田には2軒の茅葺きの民家が残っている。家主によると戊辰の役の争乱でも焼けなかった家なのだというが、詳細は不明。旧道の道筋からすると街道の東側に並んでいた家になる。絵図でみると街道の下側のどれか、ということになるが、さて。
会津中街道絵図より
片付けが一段落して、甲石と廣河原、そして一里塚を観に行く。
会津中街道絵図より
関所を出るとから澤を渡りから澤峠を上がる。その先に山神が祀られていて奥州駒返坂と呼ばれる坂を下る。ヨロイ沢に降りる手前に甲石という名の大岩が描かれている。
林道を交差するように残る旧道跡を降りていく。思いのほかきれいな道跡が残っているが、斜面部分は削られて道幅が狭くなっている。しばらく行くと右側に異様な大岩が見えてくる。
高さ3m、横幅6m程の大岩。樹木がからみつき、兜に雄々しく突き出たツノのようだ。
その先の沢で石積みを発見。橋の跡か。
廣河原に出る。ヨロイ沢を渡ると天秤坂、見下し坂、日暮れ坂と高度を上げ、中峠に向かう。
この付近に野際の一里塚と大峠の一里塚の間の一里塚があるはずなのだが、詳細はわかっていなかった。中峠の馬頭尊付近と考えていたが、それよりちょっと手前、林道のヘアピンカーブの間に残る旧道跡とおぼしき場所に一里塚と思われるものがあることを紹介頂いた。
日暮の瀧の一里塚
なるほど、これは説得力がある。街道跡の詳細なルートを歩いて、厳密な測定ができればいいのだが。