仕事の帰り、梅ヶ久保不動尊のイチョウの黄色が鮮やかでハッとさせられた。
後日製材所に車を止めて、不動尊とイチョウを撮影に訪れた。場所は旧日光北街道沿い、矢板宿から長峰公園の丘陵を越え、製材所裏から出てきたところ、R4土屋バイパス(そう、今では当たり前にR4だが)との交差部分にある。バイパスの切り通しが出来る前は、ちょうどアスファルトの会社のプラント付近に梅ヶ久保不動尊があったそうだ。
土屋バイパスはその工事の際に何人かの負傷者が出たらしい。当時はこの不動尊を動かしたせいだというウワサが囁かれたというが・・。
鳥居のところには「(大日)大聖不動明王」と書かれている。通称は「鼻欠け地蔵」というらしい。頭巾と前掛けでぐるぐる巻きにされているのは、鼻が欠けている地蔵さまへの信仰者の気遣いからなのか。今でも毎月28日が参詣者の多い地元の人の祈願仏だ。
地蔵なのに不動明王とはこれいかに?お不動さんには必ずといっていいほど剣の飾りの奉納がされている。これは慧刀といい、慧とは「知恵」の事で仏教用語だと煩悩から解放されたり迷いが断ち切れた状態のこと。祈願就成した際にお礼として奉納する。
台座含み1.8m 地蔵95cm
[台座上段正面]
木幡大明神 左 江戸 右 日光
[台座上段裏面]
世話人 願主 嘉永四辛亥十一月
台座は二段になっていて、上記以外にびっしりと131名の寄進者の名前が刻まれている。調査資料によると131名の寄付金の合計は2100銭で、当時の米1俵の値段が46銭だったらしいので、米1俵を18,000円とすると、今の貨幣価値で82万円ぐらいですか。頑張った!
お堂の脇にもう一つ「針生村の寒念仏供養塔」がある。こちらも道標になっており
高さ96cm 幅29cm 奥行30cm
[正面]
針生村
寒念佛供養
塩谷郡
[左]
從是川崎海道
[右]
從是日光海道
[裏]
元禄七甲戊年四月吉日
とある。26名の寄進者名が刻まれている。こちらは元禄7年(1694)と314年前の建立だ。この供養塔は梅ヶ久保不動尊の先の一本杉坂の切通しの入口あたりにあったという。
どちらも右は日光方面で、玉生・船生を通って日光に至る日光北街道だ。左は元禄が川崎反町に向かうことを示していて、嘉永4年(1851)のほうの道標は大雑把に江戸となっている。「木幡大明神」と木幡神社の宣伝が入っている以上、元禄道標同様、木幡神社から川崎反町に向かう同じ道筋を指しているものと思われる。川崎反町に出れば会津中街道沿いであり、氏家宿で奥州道中に合流、江戸へと出られる。