鬼怒川・川治附近。紅葉はまだまだ見ごろ。道脇にちょっとだけ雪が残っている。
五十里ダムを過ぎトンネルを抜けると、山肌が白くなってきた。海尻橋を渡り東岸の旧R121へ入る。六左の墓を見てから雪が残る高原越えの取り付きを上がり、庚申塔の前でしばし感慨にふける。
ちょうど昼時になったので、話に聞いていた「湖畔亭ほそい」へ。
観光バスが乗り付け店内は満員。工事関係者ご一行と一緒に15分ほど待つことに。
店内はなんとも懐かしい雰囲気。囲炉裏に掘りごたつ、沢水で冷やされたラムネ。料理が出てくる間、お客さんが書いた記念書き込みノートが楽しめた。
かもそば 750円
俺はかけ、ツマはつけで。穴沢の沢水、田島・今市の蕎麦粉で作られた絶品のそば。これはうまい!
湖畔亭ほそい
日光市五十里736-1
湖畔亭の南側の駐車場の先は道になっていて、布坂山の展望台に繋がっているようだ。これがかつての道筋なのか?五十里関所のあった場所らしいし。
帰り際、布坂山に上がる坂道附近で、崖下へ降りていく遊歩道階段を確認した。もしかしてかつては近くで掘割跡を観光できたのだろうか?
追記
掘割についてのレポートはYoshiさんが探索した記事
古五十里湖・海尻 に詳しい。
なんと、湖畔亭の東にあった窪地の公園が掘割そのものだったのだ。
布坂山のある半島を分断するように切通しを堀ったのは、水没した瓦礫の堰に堀割りを作るのは当時の土木技術では困難だったこと、急激な決壊に繋がりかねない掘割の工事をするなら、瓦礫の堰よりも地盤が丈夫な半島を分断するバイパスを作ったほうが安全と考えたのだろう。
地図の半島を分断する点線(道になっていたようだ)が掘割だ。北側から南に掘り進め、結果、硬い岩盤を突破できず掘割の完成をみなかった。湖畔亭とその前の店舗辺りが貫けなかった部分ということになるか。
・・ってあれ?この古地図、海尻橋以南も東岸に道が続くんですが・・。