がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

会津中街道 阿久戸と那珂川渡河

板室本村宿を過ぎると県道266号線は右にカーブして板室温泉郷(塩沢集落)に向かう。旧道はそのまままっすぐ阿久戸の那珂川河岸段丘に向かう道だ。
この道と並行するように、舗装された作業道が走っている。蕎麦屋の「柏屋」前から入る道だ。板室本村集落の墓地があり左右に畑が広がっている。この付近が、会津中街道開削により街道筋へ移動した板室本村の人々が元々住んでいた「古屋敷」と呼ばれる場所だ。この辺りの畑を「小笠原畑」と呼んでいる。伝習第一大隊の小笠原新太郎が戦死した場所だ。

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藪の中に埋もれ朽ち果てた旧黒磯市の建てた標柱。

この先坂道手前に右へ入る山道があり「板室戊辰戦死供養塔の道標」が建っている。また坂道手前のカーブから東に六斗地へ向かう山道を入った左手の鉄塔付近の林の中に、地元で「歩兵塚」だと云われている場所がある。公式に発掘していないと思うので真偽は不明である。街道はそれより手前の「古屋敷」に向かう舗装された作業道沿いの畑を抜け、西岸の段丘を下っていく。前記道標は戊辰戦争後27回忌に建立されたもので、当初の街道がその脇を通ったかどうかはわからない。

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畑所有者に断り旧道の坂道へ向かう。

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旧道のつづら折の道跡は、現在の畑からの降り口が多少崩落しているが、その奥はとてもきれいに残っている。

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植林杉の作業道として現在も使われているようだ。

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キノコ場の渡渉点は、会津中街道が開削された当初のルートで、後世は下流の現在の那珂川橋の架かっているポイント、あるいは油井集落付近に渡渉点は変更になっているようだ。地図上のピンクが当初のルート、赤・オレンジがその後のルートだ。

つづら折を降り、山裾にある民家裏を通って那珂川の川岸に出る。巨大な石がこちら側と対岸にある場所が渡渉点だ。この巨石を橋脚に橋が架けられていたという。

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石には橋けたを安定させる為に加工された溝跡が残っている。
対岸の平地を地元では「キノコ場」と呼んでいる。諸説あるがこの付近が木ノコ場=紀の木場=紀伊藩の木場だったのではないかといわれている。明治期まで那珂川の水運を使った木材の運搬が行われていた。