那須嶽開山祭、頂上での式典のあと、那須修験道昇龍講の皆さんについて那須岳の拝所を巡る。
「ノゾキ」の岩塊から東へ120mほど行ったところに、亀裂が入りトンネルになっている大きな岩塊がある。「胎内くぐり」だ。
ザックを下ろして岩塊の下側に降りる。
この下は崖なんで、現地行かれる方は気をつけてください。
岩の空洞をくぐり抜け 出生を追体験することにより 穢れていない清らかな姿に生まれ変わることができる。穴から出てくる時は「おぎゃあー!!」と絶叫のこと。
かつての白湯山/高湯山信仰には、毘沙門ヶ岳=朝日岳方面に「胎内くぐり」という拝所が、また御沢にも「胎内くぐり弁財天」という拝所があった。
ここから朝日岳方面へ向かう。
尾根道の先に峰の茶屋跡避難小屋が見えてきた。峰の茶屋は風の通り道として有名だ。西の三斗小屋方面から吹き上げてくる風が集まる場所で、特に冬場は風速40mになることもある。
峰の茶屋跡避難小屋の横に立つ牛守護大日尊碑の前で法螺。この石碑は道標になっている。
峰の茶屋の牛守護大日尊
[正面]
昭和二年十一月吉日
牛守護大日尊
發起人 根本勘作
髙根澤峯次郎
[右]
右 三斗小屋温泉道 二十八丁
左 頂 上 道 十丁
飯盛温泉道 二十丁
賛助 那須硫黄鑛山株式会社
願主 小平 濱次郎
かつて那須岳で硫黄を採取していた時期があった。古くは黒羽藩の大関増裕藩主時代、その後は民間によって採取は続けられた。那須硫黄鑛山株式会社は明治41年以降昭和30年代まで茶臼岳で硫黄の採掘採取を行っていた企業で、山仕事の無事を祈るためにこの場所に大日尊を祀った。
峰の茶屋の西側には「地獄平」と呼ばれるゴツゴツした小石の転がる平地が広がっている。この先劔ヶ峰を越えて朝日岳に向かう。
剣が峰東側の谷が2か所ほどまだ雪渓に覆われていた。斜度は40°ぐらい。地下足袋で雪面トラバース。
俺はいつものスパイク長靴 滑落したら金剛杖では止まれない。イカンヨ。
@E_Seigaku アイゼン持ってましたけど、これは登山ではなく「行」なのだと。そのときは恐怖に打ち勝った先に何かあるような気がしました・・とても山の人には聞かせられない発言ですが・・
— がりつう (@garitune) 2015年5月9日
劔ヶ峰を過ぎる途中に「恵比寿大黒」と呼ばれる2つの巨大な岩が立っている。かつてはもう一つの岩が立っていて、この3つの岩を指して「三面大黒」と呼んだ。しかし岩がひとつ崩れてしまい、残りの二つの岩のことを「恵比寿大黒」と呼ぶようになった。「創垂可継」の高湯山由来には、弘法大師が仏法僧の三宝の意味を込めて三面の大黒を勧請したとの記述がある。
この先恵比寿大黒から朝日岳に向かう途中に「胎内くぐり」と呼ばれる岩穴があったが、現在は崩れてしまって現存しない。
朝日の肩
朝日岳頂上へ
朝日岳頂上で法螺
朝日岳は、白湯山/高湯山信仰では「毘沙門」とか「毘沙門岳」と呼ばれている。 驚くほど風がなく最高の修験日和だった。俺はといえばすぐに息が上がり膝はパンパン。今度は三山掛けに行こう、と声をかけられたが基礎体力から立てなおさねば ついていけないな・・。
参考:「高湯山信仰」廣本祥己 、「那須温泉史」ほか