府中本町に帰る
学生の時分、府中本町に住んでいた。府中に東京競馬場、多摩川競艇場、最寄の立川に競輪場と、勝負師たちの集うホットスポットで、勝負を掛けてスッカラカンになったオッサンが駅前に座り込んでいるのを見かけることもしばしばだった。逆に土日の開催日の夕方に、食堂や飲み屋で景気のいいオヤジにオゴってもらったこともあった。
住んでいたのは駅近くで、競馬場も近い。日曜にアパートに居ると、「馬券買ってきてくれよ」とクラブの先輩から電話が来ることもあった。ハズれたら絶対金は払ってくれないだろうし、色々言い訳をして買いに行かなかったが。
そんなたくさんの思い出がある府中本町を15年ぶりに訪れた。学生時代所属していた映研の新年会に出ることになって、せっかく東京に出るのだし、学生時代を過ごした街に行ってみようと思ったのだ。
府中本町を再び訪れることがあったら、絶対!と思っていたのが、なじみだった食堂「大一」にチャーハンを食べにいくことだった。
チャーハンというよりも焼き飯に近いもので、俺の中では「大一」のチャーハンが、チャーハンのうまいまずいの基準なのだ。15年前と比べると中華鍋をガシャガシャと振る音も弱くなっているような気がした。正直、思い出の中で美味さも水増しされていたか?と思ったりしたが、久々の味に感動した。そうそう、この店にはラー油のかわりに「からし味噌」が置いてあって、それを餃子やチャーハンに掛けてよく食べたな。店内の話の中で、おやじさんが俺の父と近い年齢だと知った。いつまでも元気で、この店をまもってほしい。大一の斜め前にあった「萬来軒」が2004年に閉店したことをネットで知ったが、その場所は更地になってしまっていた。
(2010.02追加)
大一はどうやら2008年6月に閉店されたようだ。再訪できなかったことが悔やまれる。おやじさん、いつまでもお元気で。
中華そば店「大一」 ノリオさんのブログ
大一から、住んでいたアパートに向かう。アパートの管理人さんとは今も年賀状の交換をしていて、「アパートを建て替えようと思っている」と年賀状にかいてあったことがあったが、数年後には「居住者が老人ばかりなので行くあてがなく、退去してもらえない」と書いてあった。俺が入居していた頃、築30年くらいだったので、今もあったら築45年か。
旧鎌倉街道に出て通り沿いにある変な古本屋「落兵衛」。ここでシナロケの「真空パック」を買ったんだった。相変わらず面チン多いな。
アパートは、まだあった。周りの建物は新しくなっていて、ゴミゴミした感じがなくなっていたが、アパートは少しも変わっていなかった。アパートの前は「下河原緑道」という歩道が通っていて、朝、小学生が通学する時間以外はとても静かな部屋だった。ただ壁が薄くて隣の話し声やテレビの音は聞こえたが。住んでいたアパートは、新四畳トイレ共同風呂無しの西日が強い部屋で、家賃は2万だった。そんな物件なので、住んでいるのは孤独な独り身の老人が多かった。ほとんど寝に帰るだけだったので、それでも不自由はなかったが。今更ながら知ったのだが、下河原緑道というのは国鉄の廃線跡なんだそうだ。
まだ続く。
住んでいたのは駅近くで、競馬場も近い。日曜にアパートに居ると、「馬券買ってきてくれよ」とクラブの先輩から電話が来ることもあった。ハズれたら絶対金は払ってくれないだろうし、色々言い訳をして買いに行かなかったが。
そんなたくさんの思い出がある府中本町を15年ぶりに訪れた。学生時代所属していた映研の新年会に出ることになって、せっかく東京に出るのだし、学生時代を過ごした街に行ってみようと思ったのだ。
府中本町を再び訪れることがあったら、絶対!と思っていたのが、なじみだった食堂「大一」にチャーハンを食べにいくことだった。
チャーハンというよりも焼き飯に近いもので、俺の中では「大一」のチャーハンが、チャーハンのうまいまずいの基準なのだ。15年前と比べると中華鍋をガシャガシャと振る音も弱くなっているような気がした。正直、思い出の中で美味さも水増しされていたか?と思ったりしたが、久々の味に感動した。そうそう、この店にはラー油のかわりに「からし味噌」が置いてあって、それを餃子やチャーハンに掛けてよく食べたな。店内の話の中で、おやじさんが俺の父と近い年齢だと知った。いつまでも元気で、この店をまもってほしい。大一の斜め前にあった「萬来軒」が2004年に閉店したことをネットで知ったが、その場所は更地になってしまっていた。
(2010.02追加)
大一はどうやら2008年6月に閉店されたようだ。再訪できなかったことが悔やまれる。おやじさん、いつまでもお元気で。
中華そば店「大一」 ノリオさんのブログ
大一から、住んでいたアパートに向かう。アパートの管理人さんとは今も年賀状の交換をしていて、「アパートを建て替えようと思っている」と年賀状にかいてあったことがあったが、数年後には「居住者が老人ばかりなので行くあてがなく、退去してもらえない」と書いてあった。俺が入居していた頃、築30年くらいだったので、今もあったら築45年か。
旧鎌倉街道に出て通り沿いにある変な古本屋「落兵衛」。ここでシナロケの「真空パック」を買ったんだった。相変わらず面チン多いな。
アパートは、まだあった。周りの建物は新しくなっていて、ゴミゴミした感じがなくなっていたが、アパートは少しも変わっていなかった。アパートの前は「下河原緑道」という歩道が通っていて、朝、小学生が通学する時間以外はとても静かな部屋だった。ただ壁が薄くて隣の話し声やテレビの音は聞こえたが。住んでいたアパートは、新四畳トイレ共同風呂無しの西日が強い部屋で、家賃は2万だった。そんな物件なので、住んでいるのは孤独な独り身の老人が多かった。ほとんど寝に帰るだけだったので、それでも不自由はなかったが。今更ながら知ったのだが、下河原緑道というのは国鉄の廃線跡なんだそうだ。
まだ続く。