元湯千軒と呼ばれた塩原元湯が、江戸初期の大地震による地滑り・大洪水で壊滅し、湯本村の住人たちは新湯(荒湯)・高原・上、下塩原などに移住を余儀なくされた。爆裂噴火口跡近くに源泉のある新湯に、かつての元湯の姿を再現すべく宿屋・湯治場の開発が行われた。
現在も亜硫酸ガスを含む水蒸気が上がる噴火口跡。北側のもう一つの崖地が湯畑、湯の花を取る採取場になってるみたいだ。
荒涼した爆裂口の崖地のなかに塔碑が。安永5年建立の庚申塔。
自然研究路から爆裂口の崖地を見下ろす。
新湯には共同浴場が三つある。寺の湯、中の湯、むじなの湯だ。道路沿いにあるのが皮膚病にいい「寺の湯」。元湯にあった湯本山円谷寺(えんこくじ)が貞享元年(1684)、新湯に寺院を再建したのがこの場所だったという。寺には専用浴場があり、現在の道路付近までが境内だったのだそうだ。今回寺の湯は鍵が掛かっていて入れなかった。
下藤屋脇の階段を下りていくと、関節炎・筋肉痛・神経痛にいい「むじなの湯」。こちらも掃除中。
もう一つが新湯温泉神社の参道沿いにある「中の湯」。今回ここだけが入湯できた。その昔、新湯温泉神社の近くにもう一軒共同浴場「上(神)の湯」があったそうで、上の湯、寺の湯の間にあるから「中の湯」と呼ばれるようになったそうだ。
建物のすぐ後ろには源泉口があり、鳥居裏のコンクリの向こうは爆裂噴火口跡。大地の息吹がふつふつと湧き出している。
むじなの湯もいいけど、こちらもいいお湯、いい雰囲気だった。ビバ!新湯温泉!当分硫黄臭が抜けないが許せよ。