がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

高湯山行人道 湯本温泉神社からヨシヤジまで

湯本温泉神社の本殿脇の参詣路入口から高雄温泉、平石、ヨシヤジ(与五右衛門)までを辿ってみる。

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境内にある見立神社の前に明治20年の高湯山神社の灯籠と、那須嶽神社の石碑が並んでいる。なぜここに高湯山信仰の石碑があるかというと、この右手が高湯山の参道だからだ。湯本温泉神社の参道とはあくまで別になっている点に注目したい。

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「駐車禁止」のパッタン看板の奥に進入禁止のゲートがある。その支柱には「高湯山参道」の文字が。そんなに古いもののようには見えない。湯本温泉神社参道と平行している「高湯山参道」は、車で社務所、本殿まで上がるのに使われている。

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先ほどの見立神社前の高湯山関係の石碑から東に、殺生石入口付近に降りる坂道がある。この坂道に天保7年建立の百人講中の高湯山碑がある。文字も石の形も実に恰好いい。表面には建立者名は見当たらない。

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高湯山碑以外にも十九夜塔など多くの塔碑が並ぶ。この坂道が高湯山行人道へ向かうメインの参道だったのでは。

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殺生石駐車場にある明治38年頃の湯本の様子を描いた鳥観図。鹿の湯の近くに「行人の湯」がある。参詣の際には行人の湯で身を清めてから登ったという。温泉で「水垢離」をしたということ?

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また高湯山別当の「月山寺」があったのがこの坂下付近である。湯川の河川工事の際、殺生石駐車場の月山寺塔碑付近で当時の基礎石が見つかったという。月山寺はもともとは湯本村の檀家寺であったが、後期には無人であったらしい。行人の宿泊場所としても使われていたが、廃仏毀釈で廃寺となった。その後建物は那須小学校の仮校舎として使われ、明治34年敷地跡に那須小の新校舎が建てられた。図の「学校」の位置に月山寺があったということだ。廃仏毀釈以降、高湯山は湯本温泉神社が管理するようになる。

また、高湯山の先達であった「観音寺」は檀家を持たないで村民の祈祷を行う里修験であったという。湯本松川屋の先祖が観音寺であったそうだ。当時は那須屋と橋本屋の間に存在したと言われる。

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那須温泉神社の本殿左手に高湯山行人道の入り口がある。本殿前を横切ってしまうのがすごいな。

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階段を上がると左手に天明8年(1788)建立の「高湯山行道」の碑がある。て、これだけ以前撮った写真。

道筋はすぐになくなってしまい、右手に浄水場をみて斜面を上がっていく。アスファルト高雄温泉に向かう道に出て、左手崖下にゴルフ場、右側斜面に別荘地や山荘を見ながら進むと現在の高雄温泉がある。

f:id:gari2:20140907095252g:plain拝所と参詣路 「高湯山信仰」廣本祥己:著より

 

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高雄温泉は「お行の湯」と呼ばれ、湯本の「行人の湯」とともに登拝の前の垢離を行う場所であった。
高雄温泉から先は殺生石から牛ヶ首に向かう高雄口登山道に合流する。

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牛ヶ首まであと4.0kmの道標を過ぎてすぐ、登山道の左手の藪に巨石がいくつか見える。その中に嘉永2年(1849)建立の高湯山碑が鎮座する直径8m程の平らな石がある。これを平石と呼ぶ。

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碑には中央に高湯山、その左右に小さく月山、毘沙門とある。月山は茶臼嶽の別称、毘沙門が朝日嶽の別称だ。この三山が高湯山信仰の霊場だ。この先、行人道は現登山道から逸れヨシヤジに向かう。

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平石から600m程、ヨシの茂る湿地帯、ヨシヤジ(芦谷地)に出る。登山道では弁天温泉大丸温泉那須温泉ファミリースキー場方面との合流を大丸方面にちょっと行くとこの場所に着く。

この付近は「与五右衛門」とも呼ばれる場所。明治初め、8月8日の山仕舞のあとに入山した行者、与五右衛門がこの辺りで急死したという。山のしきたりを守らなかった者には災いが起きる、という逸話か。

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山際に「晴清水」の湧水口がある。

この先、行人道は二手に分かれる。もともとのハードな修行コースが一の城戸の不動岩方面、参詣が大衆化して出来たと思われるお気楽安全コースが現在の登山道である飯盛温泉(膳棚の湯)跡方面の道だ。

続きの拝所不動岩・弥陀ヶ原・八間岩は未訪

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