那須駒の話
那須地方の馬が全国に誇る「那須駒」として大きく発展した背景には、国の軍事需要、とりわけ近代的な軍馬育成施設がこの地に置かれたことが深く関係している。明治政府にとって、戦争や物資の運搬を支える軍馬の育成は、国の命運を握る重要なプロジェクトだ…
矢板市の沢集落に来た。かつては日光北街道の宿場として栄えた集落であるが、今はひっそりと静まり返っている。昭和40年代くらいまでは、草屋根の屋並に馬喰宿があったというが、今はその面影もない。集落の中央に大きな鉤の手(クランク)があり、かつては城…
那須町迯室にある長久寺に来た。ここ迯室は黒羽藩の時代から良馬を産出する地だった。迯室で馬市が行われ売買が行われた謂れの刻まれた産馬大神の碑がある。 産馬大神碑 高さ306cm 横193cm 厚さ133cm[表面]産馬大神 青木子爵之真跡 [裏面] 我カ下野産馬組合…
那須与一は三国一よ、男美男で旗頭~。 那須の八幡崎、八幡平は、そんな与一が少年期に弓の腕を磨いたという言い伝えのある場所。那須岳から南東方向に延びる尾根の末端に広がる標高1040mの高原だ。那須連峰を背景に、広く那須野が原から白河方面まで一望す…
小深掘、ここは綱子・白河方面から那須温泉へ向かう「湯道」の通過点。昔から馬の育成では名前が出てくる集落で、現在でも酪農がさかんなエリアだ。 小深堀の分譲別荘地の近くに、かつては半俵の馬廻塚と並ぶ馬の健康に霊験あらたかな信仰神とされた場所があ…
室野井の十方院霊山寺に来た。馬頭観音信仰について調べていて、蓮実長先生の「那須郡誌」の中の十方院の解説に不可解な記述があり、これは現地を観に行かねばということになったのだ。 十方院 室野井山十方院霊山寺と号し、新義真言宗豊山派に属す。創立年…
那須与一宗隆の愛馬「鵜黒の駒」が、黒羽の大輪駒込沢で誕生したという話は「那須記」に掲載されている伝説であるが、与一の没後、鵜黒の駒は野生の馬として那須山麓の原野に逃げ棲み、那須の半俵で余生を過ごしついに死に絶えたという言い伝えがある。鵜黒…
鴻巣馬頭観音堂は、那須与一の愛馬「鵜黒の駒」の霊を弔うために建立されたという伝承があり、霊験あらたかな馬頭観音として有名だった。 明治31年奉納の門柱。かつてはこの門前に堀があり橋が架かっていたらしい。本堂右奥には釣鐘堂、左手にはお札絵馬売場…
黒羽運動公園近くにある駒込の池。那須与一の名馬として名高い「鵜黒(うぐろ)の駒」が生まれた池として知られる場所だ。 黒羽の北中川にある「牛居渕」に、鵜の群れが住み、その中に「鵜の王」と呼ばれる大きな鵜がいた。近くの長谷田村には野馬がおり、そ…