夏の三斗小屋宿跡。灯籠が見えないほどに雑草が茂ってきた。
この石組み、水場だったんだ。ゴミを燃やす炉かなにかと。よく見ると止水栓が隣にあった。
白湯山大鳥居への通路もこんな感じ。
今回は苦土川を渡り、崖を上り下りするので、林道ゲートからスパイク長靴で来てしまった。暫く歩いていないので足裏外側がしびれてきた。
白湯山大鳥居地点からの降下を考えていたが、チシマザサの茂りっぷりと急斜面にビビってしまい、もっと容易に降りられる大鳥居よりずっと南側の降り口から降りる。「三斗小屋温泉誌」高木光昭氏の文章に出てくる雷光型の降り口だ。
前回秋口に降りた際の、大鳥居下からの様子。取付きやつづら折は見つけられなかった。苦土川の両斜面は山津波により削られ、当時使われていた降り口は消失しているという。大鳥居の崩壊は戊辰戦争によってではなく、山津波によるものではという説もある。
苦土川が分岐して合流する付近。このちょっと先で左岸から小さな沢が合流する場所がある。「三斗小屋温泉誌」では小分流が合わさる手前で渡渉するとある。ちょうどこの辺りと考えていいだろう。
合流する沢。実際の取付きは木賊が一面に在る場所らしいが、みつけられなかった。沢の斜面が比較的上がりやすそうなので、ここから崖上に上がってみる。
しばらく斜面を登っていくが、なかなか上に辿り着かない。尾根に乗り平らな場所を探すが見つからない。もっと南と判断。
ちょっと諦め気味になった頃、俯瞰で遠くの藪の向うにぽっかりと空いた場所が見えた。あそこだ!
笹藪をかき分け、急いで駆けつける。
標高1110mほど、苦土川の川底との標高差は35m。シズノ平は森の中の拝所であるが、三斗小屋宿から程近いこともあり、様々な石像・塔碑が建立されている。
寛政5年建立の馬頭観音
明和6年建立の白湯山大権現
ウラ側 明和六丑七月 三計小屋
卵塔(僧侶の墓)が何故シズノ平に?これは、白湯山の先達を務めていた野間村の西光院の僧侶の墓碑とのこと。
シズノ平から北東に、苦土川方面から延びる行人道が残っていた。
逆に辿ってみれば、木賊の茂るという取付きに出られるのでは?シズノ平は熊の巣だ。今回は御沢側を見ることなく引き返すことにした。
行人道は崩落地にぶつかって終わっていた。シズノ平からほぼまっすぐに約100m。向う側に続いていることを確認もせずに、この崖をつたって川岸に降りてしまった。
上がった沢から70mほど下流の地点だ。