がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

関谷山下の白湯山碑

 

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関谷の大田原道(関谷道)を関谷小学校の脇から県道30号に出てくると、関谷上町交差点のT字路と多少のクランクになっている。


関谷上町交差点から愛宕山のつづら折に向かう旧道は1884年(M17)三島通庸が拓いた塩原新道。それ以前の塩原温泉へ道は塩原新道の北側を並行して愛宕山に向かっていた。塩原温泉に向かう取り付きは愛宕山を左に巻いた古屋敷から登っていく。この取り付きの坂は塩原電車(塩原軌道)でも利用されている。

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その塩原新道沿いに並ぶ住宅の裏手に大田原道(関谷道)の道跡がある。関谷では別名「原道」と呼ばれた通りだ。当時の道沿いに関谷山下の石仏群が並んでいる。

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石仏群の中にひときわ大きな関谷山下の白湯山碑 安政2年(1855)建立がある。高さが202㎝あり、当時の関谷での白湯山信仰の熱心さが偲ばれる。隣には同等の大きさの湯殿山碑。本家出羽三山信仰とそれを模した地元の霊場の碑が並んでいるのはいろいろと想像させられる。一生に数回しか行けないはるか遠くの出羽三山と、数十キロ圏内、関谷からも姿を望める那須岳霊場白湯山。日常で直接目にして手を合わせられる親しみやすい存在であったのだろう。

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石仏群にある道標 右 やまみち 左 塩原みち

前述のとおり、ここ関谷山下から塩原温泉へ向かう道は、愛宕山を左に巻いた古屋敷から登っていく。

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麓の愛宕神社参道の鳥居の脇に小さな祠が集められている。

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祠の一つに「白湯山大権現 相馬某」と彫刻されたものがあった。はたしてこれはもともとここにあったものか、それとも集落の熱心な信仰者の家に置かれていたものか。

嶽山箒根神社の梵天上げ2016

 

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11月23日、24日は嶽山箒根神社の例大祭。同日は上河内の羽黒山例大祭でもあり、ついつい規模の大きいあちらに行ってしまうのだが、今回は嶽山箒根神社の梵天上げを観に来た開式は午前10時。ぎりぎりに着いたので車を停める場所がない。と言っても駐車場は数十台しか置けないので、ほとんどの車は路肩にずらっと停めている。

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箒根神社を祀っている地域は、宇都野、金沢、上大貫、上塩原、上伊佐野、土屋、針生、荒井、塩田などである。かつては例大祭にこれらの地域から梵天が奉納されていた。現在は宇都野、金沢、子供会、JA、アグリパルの五つの梵天が奉納されている。

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遥拝殿である高清水の嶽山箒根神社の前を梵天が行ったり戻ったりする。もともとはまっすぐ遥拝殿に奉納したんだろうけど、五穀豊穣、商業繁栄、家運長久を祈願して、梵天・獅子舞が奉納される。

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屋台にはホコリ除けのシートがかかせません。

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バスン!バスン!と梵天を地面に叩きつけ地の悪霊を払う。この所作を「もむ」という。

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すごい粉塵!この迫力は羽黒山梵天では味わえない!

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遥拝殿に梵天を奉納。

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また来年。

 

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矢板塩竃神社のどんど祭

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矢板の上町にある塩竃神社のどんど祭を観に来た。

どんど焼きといえば小正月の民俗行事であるが、神社でも1月14日に年中行事としてどんど焼きを行っているところが多い。子供達が入って遊ぶトリノスは作らず、正月飾りや破魔矢、熊手などの飾りものなどをお焚きあげする行事である。

矢板市の有名な2つの神社、上町の塩竃神社と木幡の木幡神社では どんど焼きを1月14日に行っており、無病息災を祈願するお焚きあげの煙を浴びに多くの人々が集まってくる。

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製塩に関係した社で、もともと幸岡原の須釜地区にあった寺院が天正8年に現在地に遷宮されたという。この付近には塩田、玉塩(玉田)、高塩など「塩」のつく地名が多く、塩分を含んだ湧水から製塩を行っていたとされる。矢板村の鎮守でもあった。

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到着してみるとすでに火入れされていた。今回は10時には祝詞をあげ お焚き上げを開始したそうだ。

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火の粉による飛び火を防ぐため四方に網がかけられている。

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正月のしめ縄飾りや門松、昨年の破魔矢、だるまなどがうず高く積まれていた。その間もお焚き上げをしてもらおうと正月飾りを置いていく人たちが後を絶たない。笹葉は火の勢いを絶やさないために時折くべていた。

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うず高く積んだ飾り物を一気に燃やすのかと思ったがこちらではそうではなかった。やはりどんど焼きの炎は夕闇に包まれてからでないと雰囲気が出ないな。

矢板木幡神社のどんど焼き

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塩竃神社のどんど祭りを見てから、木幡神社のどんど焼き準備の様子を見に来た。
木幡神社は坂上田村麻呂が戦勝祈願して蝦夷討伐に向かい、帰路に許波多(こばた=木幡)神社を勧請したという伝説のある神社。本殿と楼門は室町中期のもので国の重文となっている。

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そんな木幡神社のどんど焼きは、鳥居の前の小さなスペースでのお焚き上げ。

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まあちょびちょび燃やすんだろうけど、風吹いて火の粉舞ったらこわいなあ。周りには屋台が出てる。

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正月飾り以外の物もちらほら。

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楼門をくぐるとそこには茅の輪が。夏越しの大祓行事の印象が強いけど、どんど焼きのお焚き上げの煙プラス茅の輪で無病息災間違いない。

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書初めの展示もイイ感じの新春感。

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田村麻呂オンザヒル、といえばここ木幡神社と将軍塚。箒川を越えればそこは蝦夷の斥候が姿をあらわす那須野ヶ原。フロントラインはすぐそこ。

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祝詞と点火は14時からと言っていた。いつか夕暮れ時に訪れたいな。

佐貫観音奥之院御開帳の儀 その2

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奥の院には藤原富正の御念持佛や佩刀、弘法大師御作の如意輪観音馬頭観音の二尊像、中将姫の蓮の曼荼羅八幡太郎義家・藤原秀郷奉納の太刀・武具類や古鏡などの秘宝が納められているという口承がある。

 

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 ここ佐貫観音は、第四十八代 順徳天皇の建暦元年(1211)親鸞上人越後御流罪御放免の折、東国のますらおを教化のため、芳善坊(佐々木盛綱)をお供に常陸国茨城県)へ向われる途中、しばし留錫された霊場である。

別当寺として岩戸山慈眼寺あり。下野三十三観音霊場第五の札所として、春秋の彼岸にはお遍路さんが「ありがたや」のご詠歌を鈴の音に合わせて巡礼した由緒ある古寺、明治初年時廃寺になった。  以上案内板からの情報。

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扉が降りてきた。

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前回明治12年の開帳時に取りつけられた扉

      下野國塩谷郡佐貫邑
      兼務日光山興雲律院

栃木縣令鍋嶌幹 御代
従□□□
奉建立御閣 四月十二日

右精誠者天下泰平國士安穏

當所繁昌院内安全諸人快

楽仍而如件


大旦那が栃木県の初代県令の鍋島幹。

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奉納板(左)

 野州宇都宮城主 下野国塩谷郡佐貫村
戸田越前守御代開帳所 別當 慈眼寺
大同二年十八度目
文政十丁亥年
奉建立御閣
三月十一日
右精誠者天下泰平國
□□□當所繁昌院
□□□

 
もっといい画像取れた方、ぜひ頂ければと・・

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仏像のうち1体は地蔵菩薩で、江戸時代の元禄15年と記されていた

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奥の院内部にあった木製仏像2体、奉納板、壊れた仏具の木片など
専門家の調査報告を待とう。
このあと本堂祭壇前で撮影で接写出来たようだがチャンスを逃した。
さともこさんのブログへ

 

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佐貫観音奥之院ご開帳 柴燈護摩供 その2

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祈願文披露

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祭壇の不動明王の炎を松明に移す。

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点火

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護摩とは梵語で「焚く」という意味で炎は地上の全てを焼き尽くして、 けがれたもの、煩悩までも焼き尽くしてくれる。

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大団扇で煽ぎさらに炎に勢いをつける。

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奥之院の新しい扉を護摩檀の煙にかざし清める。

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もとこさん、法弓の破魔矢をいつのまにかゲット。

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護摩壇の煙が観音岩と見守る人々を被い清める。

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佐貫観音奥之院御開帳の儀 その1

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柴燈護摩供のあと 奥の院ご開帳の準備。道場の中にクレーン車が入る。平成の奥の院へのアプローチは地上からクレーンで。

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来賓テント席にはモニターを設置。地上からのカメラと副住職のウェブカメラをスイッチング。奥の院の中の様子もこのモニタでリアルタイムに?モニターの脇には「ナニコレ珍百景」のカメラが。

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この画像の左上の茂みから奥の院の祠にかけて V字型に棚の足場があるようだ。地元の方によると、かつては岩上の亀の子岩から垂らした綱を頼りに この棚上を奥の院に向かったという。

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かつてご開帳は 六十二年を周期として その昔「奥の院大悲窟」を開基した四国讃岐国多度郡司 藤原富正の五人の従者の子孫によって行われていた。寛政6年が17回目、明治12年4月15日がこれまでで最後の18回目のご開帳だった。

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ご開帳は、白布を巻いた太い綱を岩頭より吊り下げ、 斎戒沐浴した五人の代表が地上からからよじ登って 奥の院にたどり着き、宝物を取り出して参詣者に拝観結縁させた。まさに決死的な行事であり、参集者一同は手に汗をにぎり、無事安泰を祈り見守った。
ご開帳に使われていた綱は、観音岩の前の漁楽荘さんに保存されていると聞いた。開帳用具が付近の斎藤家に収蔵されており 町の文化財に指定されている、とあるがこのお宅のことなのか。

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136年ぶり19回目、平成のご開帳は、明治初期の廃仏稀釈で別当寺の岩戸山慈眼寺が廃寺になって以来、別当というか管理をしている 福聚山東海寺の渡辺副住職が、一週間の断食苦行をへてその任を担った。

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そしてついにご開扉。扉の前で九字を切る副住職。地上まで気迫の九字が響く。

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難儀の末、長年風雪に耐えた扉が取り外される。

奥の院大悲窟の中にはどんな秘宝が納められているのか。

つづく

参考:現地案内板、塩谷町

 

 

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