がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

佐貫観音奥之院ご開帳 柴燈護摩供 その1

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佐貫観音の磨崖仏の前での柴燈護摩供。この光景をずっと待ち望んでいた!グッド・ロケーション!!きっとこの大日如来の磨崖仏の開眼式の際もこんな儀式が行われていたに違いないl

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新観音橋の渡り初めの列は山伏を先頭にお稚児さん僧侶の方々檀家さんと続く。列は観音岩前まで練り歩き、次なる祭事 柴燈護摩供へ。

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山伏入場 山伏達が法螺を鳴らしながら道場内を練り歩き 祭壇前に向かう。

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しんがりに錫杖を持った東海寺副住職。一週間前より断食護摩行を行い心身を清めている。

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柴燈護摩供で観られるような祭祀の様式化した所作から舞踊や歌舞伎が生まれた。山伏たちの動きはどことなくユーモラスでそれが見どころでもある。副ご住職、断食行でもう精魂尽き果ててます、って感じのヨレヨレの入場 。

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この大笠の独特な持ち方、いいでしょ。たまらん。

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祭壇前で整列 祈願

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そして行者問答 案内申す!案内申すっ!

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法斧の儀

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法弓の儀、五大尊明王の勧請。

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法剣の儀

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床堅の儀

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後半へ続く。

 

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佐貫観音奥之院ご開帳当日

f:id:gari2:20150323174910j:plain佐貫観音奥之院ご開帳当日。朝8時過ぎには現地に到着。

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祭壇に供えられているご宝物を見せて頂く。中央がかつて佐貫大悲窟に納められた阿弥陀曼荼羅。左右は今回のご開帳で納めるという金と銀の仏像。もうひとつの宝物である和鏡は展示されていなかった。

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佐貫大悲窟阿弥陀曼荼羅
[裏面]

下野國

氏家郡讃岐郷巖掘
     修造事
勸進 沙門阿弥陀
大檀那 右兵衛尉橘公頼
建保五年丁丑二月彼岸第
三日  金銅佛奉堀
出畢

表面は中央に阿弥陀如来、周囲に菩薩と天部仏を配した半肉像。裏面の陰刻は上の通り。内容は建保5年(1217) 宇都宮朝綱の三男である氏家氏の祖右兵衛尉橘公頼が大旦那として佐貫大悲窟(奥の院)を開いた、その際に秘仏の金銅仏を納めた という意味であると思うが、金銅仏を補修したと解説する資料もある。当時氏家からこの地佐貫までの一帯は氏家氏の支配下にあったと考えられる。この建保5年が、奥の院の建造のみでなく磨崖仏が彫られた年であるという説もある。縁起ではお約束の大同元年。うーん眼福眼福。

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おもしろかたりべ    (でごまづ流へでなし語りべ) ほんで、来ましたよ!!136年目が!!!

さとうもとこさんブログ

2015/03/23 18:07

 さとうもとこさんブログの画像、この時いっしょに撮影したのだがすごくよく撮れてる!立体感、ご宝物感があってすばらしい。

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民話採集家で民俗探訪家で夜話語り部のさとうもとこさんは本日「It’sきたかん」の放送日。間に合うように佐貫を発たねばならない、程よくネタを拾いつつ。

 

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新観音橋渡り初め前の記念撮影 お稚児ちゃんたちかわいい!

佐貫村について。「和名類聚抄」には「之保乃野(しほのや)」の六郷のうち「散伎(さぬき)」の郷名があり下野国塩谷郷のうちのひとつ。鎌倉・室町期にわたり宇都宮氏・氏家氏の支配下にあった。近世ははじめ宇都宮領、寛延3年(1750)より下総佐倉藩領、安永3年よりまた宇都宮領に戻る。ここ観音岩の元に真言宗塙田能延寺末寺の岩戸山慈眼(じげん)寺観音院があったが、廃仏毀釈により廃寺となる。

 

 

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カタナさし

小正月イブの1月14日。塩原のツイ友さんから

夕方ですが今日は子供達が刀さしに来ました この辺りの地域の厄払いの伝統行事です 

 というつぶやき。「 刀さし 」とは? はじめて聞いた。どんなことするんだろう?ぼうじぼ的な?

えいえいヤーと刀を写真のように合わせるんですよ 私も詳しくわからないのですが、刀もツバも大人と一緒に作ってるんです ぼうじぼは、また別に来ますよ

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塩原といえば源三窟。有綱伝説に関係した行事?あるいはラストサムライ戊辰の凌霜隊が思い浮かぶ。うちのほうはそんな行事ないんで、どんど焼きの前日にあるこのイベントに興味持って調べてみる。さてさて。


塩原図書館に行く。まずは「塩原町誌」を見るが民俗紹介は載ってない。県教「中塩原の民俗」って報告書にも未掲載。司書さんが公民館の方にも聞いてくれたんだけど云われについてはわからず。

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 収穫なく、なじみの日帰り温泉に寄った。ここは地元客の多いさくい客層の温泉。全く知らなくてもサウナとかで世間話をする。今回は思い切って「刀さし」についていろいろ聞いてみた。

蟇沼の方からの聞き取り 

単に「カタナ」と呼んでいた。小正月どんど焼きの前の日、「ノテボウ」というウルシの木に似た木を切ってきて刀を作る。

 白くなるまで削らず、青くなる程度に表皮を剥く感じで。刀の鍔も桐や松で作った。カタナは元々男の子だけで行う行事で、作ったカタナを持って集落の家々を回っておかしやおもちを貰う。

今は少子化で女の子も参加するが、昔は女の子は恥しくて嫌がったそう。集落の家々の女はカタナではなく小さなウスを作って迎えたとのこと。今この行事を行っているのは塩原・関谷・蟇沼・宇都野で金沢はやってないとのこと。

 

刀と臼、男と女の張形がカタナとウスにぼかされて刀だけ残ったのでは?もしや夜這いの予行演習を形式化した行事なのか?男の子の成人の儀式、それで成人式は小正月にやるのかな・・なんて。

小正月どんど焼き、サエの神、嫁たたき、嫁占い・・・。

最初の塩原のツイ友さんから情報

回覧でまわった刀さしの説明?は小正月に木の刀で行う鳥追いの行事で、刀で害鳥やその年の厄を追い払う、となっていました この辺だけなのかな…

鳥追いってのはどんど焼きも同じだよね。竹をはぜさせて害鳥を追い払う行事。

金沢出身のツイ友さんからの情報

こちらでは「刀きり」と呼んでた。その日の夜がどんどん焼きですね ツバの部分はオヤジに杉で作ってもらった記憶があります  ぼうじぼと並んでお祝いもらえるから楽しみな行事の一つでした 

カタナさしあるある 間違ってウルシで作ってカブれる~ とか盛り上がってたサウナの中で。おじさんがカタナの今のご祝儀相場、集落ぐるっとまわると八千円くらいになるっていってた。いいなあ、正月にお年玉、小正月にさらにボーナスか。

ぼうじぼ、刀きり、箒根神社神輿、おたけさんの梵天私の世代くらいは男のみでした 元々親戚からお年玉なんてもらえないから刀きりがお年玉でしたよ(笑)  

現在金沢は刀さしやってないと言ってたけどどうなんだろう?

廃校が決まっている金沢小学校の児童数は10名程度  どんどん焼きはやってますがぼうじぼもキツイ地域です 

 ・・なるほどな。少子化過疎化は長く続いた行事も途絶えさせる。

その後、ネットで答え合わせ。




#04 桑取谷、伝統の小正月行事 | 003 かくも美しき里山の年寄りたち 佐藤秀明 Hideaki Sato | 日本列島 知恵プロジェクト


お正月って…実際いつまで?あまり知られていない”小正月”とは - NAVER まとめ



鳥追いがトリゴヤに火をつけて無病息災を願うこの行事のクライマックスを指しているのでなく、前日夜の子供たちによる練り歩きのほうとは。
嫁占い=嫁たたきは新婚のお嫁さんに早く子どもができるようにとお嫁さんを追いたてる「成木責め」の人間版のような行事。刀作り=カタナさし=刀切りは「嫁占い」のための小道具づくり。塩原・箒根のカタナさしは子供たちが鳥追いの厄払いをするため「嫁占い」の小道具を持って集落の家々を回る行事だった。集落の人たちの代表で子供たちが新婚さんの子作りを急かす嫁つつきも嫁占いも子孫繁栄を願う儀式であるからあながち的外れではないのかもしれないけど。

ネットで調べた他地区の行事紹介では仕事始め初山入りで切ってくるノリデの木で刀を作るとある。 ノデボウ=ノリデの木は同じものか?西那須野旧村地区にもある民俗行事、小正月に食べる「小豆粥」のハラミ箸も「ノデンボウの木」でつくる とある。「成木責め」の解説でもこのノデボウは出てくるな。木をたたく棒がノデボウ。加工しやすいという特徴以外に特別な植物なんだろうか?

第四回西光院大火渡り祭

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西光院の火渡り祭に来た。先日は雨がずっと降り続いていたが夕方にはやみ、夜には星がきれいにみえていた。青空のもと火渡り祭りができるかな、と思ったがあいにくの曇り空。

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山伏問答
圓明房精岳さんの行者問答、省略なしのフルバージョン。今回で2回目のはずだがカンペキ!素晴らしかった!

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法斧の儀

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法弓の儀

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法剣の儀

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床堅の儀

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祈願文披露
今回祈願文をじっくり聞いて初めて西光院は西光院蓮華寺という正式名だと知った。

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祈願文の巻物を祭壇から持ってきて元に戻す係の所作。この祈願が目に入らぬかぁ!って感じでよいなあ。

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ご住職が杓?で相撲や舞台幕引きの拍子木のようにリズミカルに足元の石を叩く。様式化した祭祀から舞踊や歌舞伎が生まれたのだなあと感じる時。

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大祓

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護摩焚き

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不動明王真言を唱える

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 今年から池島酒造の御仏酒を販売。那須乙女のビンにオリジナルラベルで「石ノ上ニモ三年 火渡り不動」と地名の石上にかけたネーミング。風もなくなんとか天気も持ちこたえてくれてよかった。

告知、第四回西光院火渡り祭

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大田原市下石上 西光院さんの柴燈護摩供・火渡り祭 告知きました。

今年は11月30日(日)午前10時からとのこと。先日26日の成田山大田原分院行けなかったのでこちらは是非参加したい。

くろばね夏まつり花火大会2014

黒羽の花火大会にやってきた。遠くから眺めるつもりだったが、今回は大混雑の打ち上げ会場への潜入を試みる。ツマお子を先に下ろしてさすらいの駐車場探し。なんとか空きを見つけて俺も那珂川河川敷に向かう。
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昭和8年建造の那珂橋と花火。

f:id:gari2:20140831220209j:plain今回の花火大会のポスター。吹けよ川風、呼べよ嵐。いいね。

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とにかくすごい人出だ。黒羽人の誇りをかけたイベントだということがひしひしと伝わってくる。

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向こう岸で打ち上げているのだもの。すごい迫力!スーパーソニックサウンド。空気がビリビリしてる。

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そして屋台。今まで鄙び系の花市初市を中心に記録してきたので、出店の数と人出にわくわくしてしまう。やっぱり祭りはいいなあ。

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昔はこの河川敷が黒羽河岸と呼ばれる那珂川舟運の要所だった。鉄道が通るまでは水上運送が花形だったから、黒羽は林業と水運でイケイケだった。遊廓まであったくらいだし。

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 夏よ終わらないで!

茶臼岳の拝所

前にも何度か載せたが、黒羽藩の「創垂可継」より那須高湯山大権現の拝所についての記述。

   拝処

弥陀ヶ原 ○月山八竜  ○薬師岳 ○月山ないき

天狗岩屋 ○男釜 ○女釜 ○五智如来

   毘沙門ヶ岳

如来岳 ○胎内くぐり ○役行者 ○毘沙門

三面大黒 ○朝日岳 ○姥月光 ○梵天

大権現宝前 ○三宝荒神

   御沢

八万四千仏 ○胎内くぐり弁財天 ○天照大神長命水

両部の滝 ○庚申 ○補陀落三社

御観仏 ○御供蔵

荒沢不動

  以上弐拾八ヶ所

茶臼岳卯辰向 毘沙門岳 南向

奥院宝前 卯辰向 御沢流辰巳向

 

月山=茶臼岳、毘沙門ヶ岳=朝日岳


開山祭のあと、那須修験道の皆さんの祈祷をちょっと見学。上記の拝所とは異なるようだが、当時の雰囲気を感じることができた。
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茶臼岳山頂の岩塊脇の割れ目に小さな不動明王の石像と御札が祀ってある。ここの拝所をなんと言っていたか。茶臼岳は白湯山/高湯山信仰では「月山」と呼ぶ。

黒羽藩の「創垂可継」より那須高湯山大権現の拝所についての記述によると、茶臼岳付近の拝所は弥陀ヶ原、月山八竜、薬師岳、月山ないき、天狗岩屋、男釜、女釜、五智如 とある。

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一行は御釜を時計回りにまわり、茶臼岳頂上からみて北にある岩塊の上に移動した。那須修験道の方々はこの拝所を「ノゾキ」と呼んでいた。前述の拝所一覧にはみられない名称だ。

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修験道の本をみると、断崖絶壁から身を乗り出したり、あるいは逆さ吊りになって奈落を見下ろし恐怖を味わうことで、今までの罪を懺悔する行を「ノゾキ」と呼んでいる。各地の信仰の山には「ノゾキ」と呼ばれる場所がある。

「ノゾキ」といえば三斗小屋宿跡の案内看板にも描かれている会津中街道沿いの地名、ナカドウ、オハルキッパ、ノゾキ、(沼ッ原)、ジロヘキャツブシ、バクハンザカを思い出す。これは「那須山麓の民俗」という本に出てくるもので、昭和44・45年に百村・板室地区の民俗調査を行った際に地元の話者から伺ったものらしい。沼ッ原から板室まで歩いたけど、沼ッ原手前で断崖になってる場所なんてないんだよな。林道拓いたときになくなったのか?

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「ノゾキ」からの眺め

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「ノゾキ」の岩塊から東へ120mほど行ったところに次の拝所がある。大きな岩塊に亀裂が入りトンネルになっている。「胎内くぐり」だ。かつての白湯山/高湯山信仰には毘沙門ヶ岳=朝日岳に「胎内くぐり」御沢にも「胎内くぐり弁財天」という拝所があった。朝日岳の「胎内くぐり」は崩落してしまい今は存在しない。

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岩の空洞をくぐり抜け出生を追体験する。穢れていない清らかな姿に生まれ変わることができる。