がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

大田原と関谷を結ぶ古道

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 村長道から大田原道に入る


関谷のR400から村長道に入って、道路が狭くなる手前右手に林に入っていく小道がある。どうやらこれが、関谷三叉路からはじまる関谷~大田原道の名残りのようだ。M17年三島三方道路(三島新道・塩原街道)が開削される以前は、この道が関谷と大田原を結ぶ重要な道路だった。そのルートは以下のとおり。

関谷上町三叉路~関谷上町の道祖神道標~関谷小校庭南~村長道渡る~旧ナステック北東の旧西那須野町境界にある念仏塚~赤田調整池南会津中街道渡る~藤荷田山南~高速道路くぐる~赤田信鶴堂前~赤坂道入口~カゴメ旧R4渡る~R4渡る~にしなすの運動公園南西~JR宇都宮線渡る~乃木神社前~石林道標~経塚~大高横~大田原藤田屋角~住吉町の道標(参考)~甲州屋角大田原宿

 

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村長道の道端に車を止めて山道に入っていく。意外に整備された道に怪しさを感じつつも、林の中を行くと、右に枝分かれする部分が何回かあった。右手は売出し中の分譲地になっていて、そのどんづまりがこの道でつながっているのだ。

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 分譲地として整備された道の部分

 

枝道の先にペンション風の住宅が見える。しかし整備された道が終わり、道が狭まってきて、水の流れた跡の残るけもの道となった。思いのほか草木は茂っておらず藪には覆われていない。

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 工業団地裏手の道跡

左手に柵が出現し、さらに道跡は続くがついには工業団地の敷地でとぎれてしまう。住宅地図には、工業団地の通りの向こう側にもこの山道の続きが残っているように表記されている。工業団地の通りに車で行ってみたが、それらしい入口はみつからなかった。

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 境界道

さらに旧西那須野町境界付近にあったという念仏塚を探すためにウロウロしてみる。旧西那須野町と旧塩原町の境界線に沿って、一本の道が通っている。R400からの入り口はちょうど塩那厨房の前あたり。NPSを左手に見ながら境界道を入っていく。路面は砂利を敷き直しているが、雨水の流れで道が削れている部分もある。右は砂利採石場とホウライカントリー倶楽部の敷地か?フェンスが道なりに続く。左側が雑木林になると所々に不法投棄禁止の看板が立てられている。分譲地があって、旧ナステック(今は何が入っているのか不明)の敷地が途切れてまた雑木林となる。そろそろ注目のポイントだ。それらしい道の入口はあるのだろうか?

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肝心の部分は伐採されて雑木林ではなくなってしまっていた。工業団地として分譲するつもりの場所なのだろう。境界道沿いはかなりの藪に覆われている。伐採して重機が入っているだろう。道跡を確認することはできるだろうか?塚も均されてしまったのか?ふと、道沿いの藪の中に柱が立っているのが目に入った。もしかして念仏塚のマーク?

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藪に入って確認したい気持ちもあったが、そろそろ娘のお迎えの時間だ。緑が枯れ始める季節に、もう一度機会を改めて訪れたいと思う。

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石林の道標
「右 なすみち 左 志をハらみち 享保十乙巳十一月吉日」

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住吉町の道標
「右 なすゆ道 左 志を原道 享保十九甲寅天
 右 大貫道 左 石上道               」



補足

塩原街道の境界道入口付近に、塩原電車の「金沢道」駅があったという。金沢道は、波立~横林~金沢を通る道なのだが、塩原街道から金沢方面に行く道は、塩那厨房より塩原側、そば屋の美乃福に行く通りのようだ。この道を入っていくと、分譲地を通って、大貫配水池、ボーダフォンのアンテナの脇を通り、大貫街道に出てくる。

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