日光北街道 今市~船生をいく
日光北街道を歩くツアーに同行した。先月、矢板~大田原間を歩く回に参加できなかったので、今回は是が非でも!というわけ。今回は日光北街道・会津西街道の起点である今市相之道から船生までの行程を歩く。この区間は街道沿いの石仏の多さが目につき、車で通るたびに一度じっくり散策したいと思っていた。最近道標探しで訪れた場所を通るので、点を線で繋ぎ再構成することが出来る有意義な旅となることだろう。
今回の到着点、船生の支所駐車場に車を置かせてもらって、バスで新高徳駅まで移動、そこから東武鉄道鬼怒川線で起点最寄駅の下今市駅まで行く。高徳は、会津西街道が大宮通りへ分岐する場所で、こちらもまた興味深いが、それはまた今度。
下今市駅から出発点に向かう途中にある報徳ニ宮神社に寄った。ここには、二宮尊徳の墓があるのだが、
卓球場もある。二宮尊徳と卓球・・。その関係は?
相之道をスタート。「相之道」は日光道中と会津道が合わさる処、という意味だとずっと思っていたがどうやら違うようだ。「相之道」とは「捷道(はやみち)」のことで要は近道の意味。「今市ヨリ大田原通会津道見取絵図」には「奥州街道相之道」との表記がある。解説では日光北街道(=今市ヨリ大田原通会津道)に対しての注記であるとしており、大田原宿で奥州道中に合流する脇道だ、ということらしい。この附近は会津西街道の相之道通りを参照のこと。R121バイパスにいったん出て、戊辰戦争の土佐藩・佐賀藩の戦死者の墓がある回向庵に向かった。
墓地の片隅に整然と並ぶ藩士たちの墓。
大谷川を渡る。街道歩きには最高の天気。かつての渡河ポイントはもうチョット下流か。
つづく。