かつて宇都宮市内にあった銭湯や映画館の情報をまとめたマイマップ「宇都宮の今昔(仮)」を更新しました。
那須嶽開山祭2017
去年は5/8休めなくて、だけど天候が不順で山麓駅ロビー開催だったんじゃなかったか。とにかく去年は仕事で行けなかった。今年は早めに出発して行きがけに地元登山部の高校生ら8人が亡くなった雪崩事故の追悼にファミリースキー場の献花台へ寄った。
スキー場東側の小丸山展望園地に献花台がある。とにかく納得のいかない事故だ。なぜラッセル訓練をあの急斜面で?
登山前に皆で黙祷。
頂上は風がつよく帽子がとばされそう。
那須嶽開山祭、頂上での式典のあと、那須修験道昇龍講の皆さんについて那須岳の拝所を巡る。 風がおさまらず「ノゾキ」の岩塊上に行くのは中止に。「胎内くぐり」の場所に向かう。
この場所はほんとに崖の際なので、実際に行ってみたい方は気を付けてださい。またコッソリ野○ソポイントでもあるので足元も気を付けてw
風がやむことを信じて峰の茶屋避難小屋へ向かうも小砂利が飛ぶすさまじい風はおさまらず拝所、毘沙門ヶ岳(朝日岳)縦走は断念した。
黒磯の映画館 寶来座と金剛館
栃木県大日本職業別明細図 S12(1937)
ちなみに栃木県大日本職業別明細図 T14(1925)のほうには黒磯町の市街図の紹介はない。栃木県営業便覧M40(1907)にも掲載はあるし何故なのだろうか。広告が充分に集まらなかったとか?黒磯駅周辺は明治19年に黒磯駅が出来てからの発展で、町並みの形成は後発だったが、明治32年には遊廓設置規程県令により増設地に選定されるほど経済的にも繁栄が目覚ましい地域だった。
昭和30年代、黒磯地区には磯原町新地仲通りの寶来座と、黒磯本町原街道沿いの金剛館があった。寶来座は東映と日活、金剛館は松竹と東宝と大映の作品を上映していた。
寶来座
黒磯町磯原町206 / 黒磯町206 現住所:那須塩原市中央町4
木造二階 250-500席
創業1951年11月(1950年11月?)
資料では1952-1963の営業は確認 閉館時期は不明
「おもいで写真館 那須塩原のひと・まち・くらし」H27(2015)より
昭和初期の新地仲通り。現在の三川燃料店のところまで道の両側に桜の並木があったそうだ。
現在の新地仲通り。1990年代前半くらいまではカフェグランボアなどもあり盛り場的な雰囲気が残っていたのだが、現在は閑散としている。
2016.06撮影
この通りの中央ほどに「御菓子司 遊行堂」という看板の建物がある。これがかつての映画館、寶来座の建物である。おわかりだろうか?
2016.06撮影
矢切りの部分に当時の「寶来座」の塗装の跡が残っている。遊行堂のファサード壁の向こう側はどうなっているのか。
正面からみるとこじんまりとした商店だが、後ろ側に回るとかなり大きな建物だとわかる。全国映画館名簿、映画館録の収容人数をみると増減するが最高で500席。一段高くなった舞台があり2階桟敷もあったという。
近隣の方の話だと、映画館を閉館したあと、座席や舞台などを外してリノベーション、県北で初のスーパーマーケットとして営業をしたらしい。鮮魚店、青果店などの個人商店がテナントで入り、当時県北で一番大きな商業施設として名を馳せたそうだ。スーパーとしての営業は5、6年だったらしく、その後は家具店として営業し、最後は和菓子店の「御菓子司 遊行堂」が使用していた。菓子店はこんなおおきな建物である必要がないので、後ろの部分はしばらく倉庫となっているのではないか。
映画館として営業した時は2階建てで、2階には桟敷があった。スーパーが居抜きで営業した際に壁で塞いだはずだが、2階の桟敷は現存しているのではないか、とのことだった。是非見たい!
寶来座は営業当初、宝来館、宝来座を名乗っていたが、全国映画館名簿、映画館録をみていくと1959年から数年間、黒磯東映、東映宝来座を名乗る時期がある。これは直営扱いになったのか、それとも何か配給方式が変わったのかは不明である。興行主・支配人名に変更はないので運営上大きな変化があったわけではないようだ。宝来座を経営していたのは貸座敷業、金融業で名を成した原田家である。当時の建物が残る蔵にも「寶」の文字がみられる。
金剛館
黒磯町40 / 黒磯町本町3-40 現住所:那須塩原市宮町12-7
木造二階 450-800席 1942年2月創業(1931年11月?)
資料では1942-1964の営業は確認 閉館時期は不明
映画年鑑の1954年版と55年版には創業年データが掲載されているのだが、映画館の中にはその2つの年代が違っているものがある。これは誤りの訂正なのか、あるいは映画常設館としての創業だと思って提出したら、芝居小屋としての創業を改めて提出したのかよくわからない。また創業当時は収容人数が800席だったのが450になったり。それ以降ずっとその数なら、何らかの都合で2階桟敷は使わなくなったとか、なんとなく想像つくのだが、上がったり下がったりまちまちな申告があったりで困る。
原街道 2016.06撮影
金剛館があった場所は葬祭業者の帝都ホールの手前、レオパレスの前の駐車場付近と思われる。(画像)
金剛館は、戦前あるいは戦中に創業した800席の収容人数を誇る劇場である。経営は安藤家。1949年には那須村湯本の那須劇場を経営。那須劇場は1914年創業という資料もあるので、もともとあった芝居小屋を常設映画館として営業したのかもしれない。1958年には寺子丙にある黒田原劇場を引き継ぎ泰平館という名称で経営した。金剛館は1964年に黒羽東毛座の鈴木家の経営となる。
複数の方から小学校の時皆で金剛館で映画を観たという話を聞いた。赤胴鈴之助、明治天皇と日露大戦争、ベンハーを観たという方もおられた。
寶来座と金剛館の記憶、思い出、関係資料についてご存知なことがありましたら、書き込みして頂けるとうれしいです。
番外
黒磯シネマ
黒磯市錦町14-3
鉄筋一階 166席 錦商事(株)
1975-1982は確認 開館閉館時期は不明
黒磯マリオン /黒磯ピカデリー / 黒磯ピカデリーヤング館
黒磯市錦町14-3
鉄筋一階 各77席 ナカジマ興行
-1988- 開館閉館時期は不明
シネマクラフト黒磯A,B
黒磯市錦町14-3
鉄筋一階 各77席
2006年閉館
大田原セントラル劇場、西那須野劇場、太陽劇場、大田原朝日座と次々と映画館が閉館する中、経営者が変わりながら最後まで栃木県北の最後の砦として営業を続けたのが錦町のこの映画館である。2006年に閉館し栃木県北は映画館の空白地域となった。2009年のフォーラム那須塩原の開館を待つこととなる。改めてフォーラムシネマネットワークの成り立ちについて以下記事中の文章で確認していただきたい。
黒磯東館@東那須野
かつて、東那須野駅の東口に「東館」という映画館があった。
「1955映画年鑑 付録 全国映画館総覧」によると住所は東那須野村大原間394、現在の住所だと那須塩原市大原間394となる。那須塩原駅の西口、県道東那須野停車場線から少し入った場所だ。
臼井薬局さんの脇の路地を入る。
時すでに遅く更地となり駐車場になっていた。
手持ちの黒磯市1997年住宅地図にはかつての東館の建物が記されている。ソーコと書かれた部分。
駐車場の脇に残るこの建物、上の建物配置だとかつての映画館の建物の一部のようだ。お話によると、この部分は映画館の売店と倉庫だった建物とのこと。
「映画年鑑 付録 全国映画館総覧」のBNで確認できるのは、1935年6月開業、少なくとも1953-1963までの営業確認、木造2階建て席数450ということだ。この期間の黒磯東館は、経営主・興行主、支配人が西那須野劇場や矢板東映と同じ方が運営されていたようだ。正確な営業期間に関してご存知な方がおられたら教えてください。
また、東那須野にはもう一軒映画館があった可能性がある。こちらは下野新聞1928年(S03)11月の記事。
下野新聞S03.11.13の記事
那須郡東那須野村にては永らく常設劇□の建設を希望されておったが、この程しばらく県の認可を得たので、同村の小澤□吉、□葉兼吉の両氏が工費九千円を投じて昭和館を青年会館右側に経営することになったが、同館は120坪の堂々たる二階建にて遅くも来月上旬には落成の見込みなれば、愛劇家は意外の喜悦をもって開館を期待している。
「全国映画館録.1936 」(S11)にはこの東那須野劇場(昭和館)も黒磯東館も掲載されていない。前述のとおり黒磯東館の設立年は1935年(S10)6月であるがこちらの掲載もない。東那須野劇場が黒磯東館の前身の可能性もある。新たな情報があり次第更新する。
しばらく栃木県北にあった映画館について調べていたが、関係者がご存命なこともあり、見聞きした詳細をそのまま記事にすることもできず、当たり障りのない程度でお茶を濁しつつ、興味のある方の今後の調査の礎となればと思う。
1955年(S30年)の栃木県の映画館
ここのところずっと県北の各集落にあった映画館について調べている。 テレビの普及以前、どんな小さな集落にも一つぐらい映画館があった。それらの映画館の存在した期間や場所を調べるために、国会図書館や県図で当時の映画館名簿を閲覧コピーしまくったんだけど、間違いや曖昧な部分が多くて確証がとれない部分が多くなかなかまとまらないでいる。
ネット上では昨年くらいまで昭和32年の全国の映画館リストを公開していた方がいたのだが、ニフティーのHPサービスの終了で消えてしまったので、栃木県内だけでも手持ち資料から上げておこうと思う。引用先は「1955映画年鑑 付録 全国映画館総覧」。映画年鑑の1954年と1955年の分には映画館の設立年が掲載されている。ただ1954年と1955年で表記されている年月が違うものが結構あって。記憶違いで次の年に正しい日付を再提出した、と判断して後年の1955年(S30年)の情報を掲載する。ただ、この記載されている設立年より前の記録でその映画館の存在が確認出来たりする場合もあるので検証が必要だ。
元リストには※印で「仮設興行場」である但し書きがつく小屋も多くみられる。地方の小屋は映画だけでなく歌謡ショーや芝居、レビュウなどの興行もかける娯楽の殿堂でありもともとの映画専門館ではなかった。住所は当時の住所なので、地番変更や市町村合併を行った現在の住所とは違うものになっている。各市町村の役所か図書館に住居表示新旧対照表というのがあるのでそちらで調べてみてほしい。
住所 |
設立年月
|
座席数 |
|
花屋敷 | 馬場町3176 |
1945.09
|
860
|
歌舞伎座 | 馬場町3196 |
1954.09
|
650
|
松竹映画劇場 | 馬場町3197 |
1945.09
|
750
|
メトロ座 |
馬場町3214 |
1945.12
|
350
|
電気館 | 相生町23 |
1945.04
|
653
|
セントラル映画劇場 | 杉原町3235 |
1949.10
|
500
|
第一東宝 | 池上町3016 |
1946.04
|
877
|
江曾島映画劇場 | 宮本町 |
1951.10
|
200
|
足利市 | |||
有楽館 | 井草町2408 |
1921.04
|
600
|
高砂館 | 通1-2720 |
1950.02
|
300
|
足利サン劇場 | 通2-3571 |
1951.06
|
250
|
ワンプラー劇場 | 通3-2764 |
1949.12
|
390
|
末広劇場 | 通4-2801 |
1923.06
|
480
|
東映劇場 | 緑町2-3725 |
1947.04
|
220
|
足利演舞場 | 伊勢町218 |
1951.12
|
550
|
栃木市 | |||
栃木明治座 | 万町457 |
1949.06
|
640
|
栃木文化会館 | 万町396 |
1947.01
|
585
|
栃木松竹館 |
境町1190 |
1950.03
|
650
|
栃木白百合座 |
泉町366 |
1950.09
|
546
|
佐野市 | |||
佐野昇映 | 伊賀町708 |
1925.07
|
700
|
佐野セントラル劇場 | 大和町2588 |
1950.08
|
500
|
佐野東宝(佐野名劇) | 七軒町2181 |
1953.08
|
600
|
電気館 | 若松町656 |
1917.07
|
570
|
鹿沼市 | |||
鹿沼東宝映画劇場 | 仲田町1251 |
1946.08
|
510
|
末広館 | 末広町1934 |
1945.12
|
500
|
鹿沼(セントラル)映画劇場 | 上材木町1836 |
1953.08
|
334 |
今市市 | |||
今市映画劇場 | 東町1124 |
1951.01
|
250
|
千歳座 | 小倉町743 |
1953.05
|
436
|
日光市 | |||
和楽所 | 清滝500 |
1949.05
|
787
|
日光劇場 | 御幸町578 |
1953.05
|
500
|
小山市 | |||
小山劇場 | 御殿町2276 |
1932.08
|
520
|
小山銀星映画劇場 | 本町2016 |
1954.06
|
480
|
小山昭和館 | 上町2225 |
1940.12
|
400
|
真岡市 | |||
真岡映画劇場 | 荒町1040 |
1949.10 |
600
|
真岡東宝 | 荒町1094 |
1946.01
|
300
|
大田原市 | |||
上栄館 | 栄町2341 |
1938.03
|
350
|
大田原東宝 |
上町 |
1946.11
|
300 |
郡 部
|
|||
河内郡 | |||
上三川映画劇場 |
上三川町仲町4970 |
1950.02
|
250
|
小林映画劇場 | 篠井村大字小林 |
1952.08 |
280
|
雀宮映画劇場 | 雀宮町雀宮608 |
1952.08
|
250
|
雀宮会館 | 雀宮町 |
1953.04
|
300
|
上都賀郡 | |||
足尾キネマ | 足尾町松原町2712 |
1912.05
|
600
|
エビス座 | 足尾町間藤 |
1927.08
|
600
|
下都賀郡 | |||
石橋劇場 |
石橋町上町289 |
1946.04
|
500
|
小金井会館 | 国分寺村小金井 |
1949.04
|
250
|
壬生劇場 | 壬生町甲1325 |
1947.02
|
300
|
藤岡映画劇場 | 藤岡町内町5240 |
1945.04
|
312
|
間々田クラブ | 間々田町1-1156 |
1947.10
|
220
|
芳賀郡 | |||
益子太平座 |
益子町952 |
1916.05
|
250
|
茂木昭和館 | 茂木町2157 |
1934.09
|
300
|
新富座映画劇場 | 久下田町谷田貝932 |
1920.05
|
500
|
祖母井東宝 | 祖母井町祖母井西町 |
1952.07
|
300
|
市塙太平座 | 市貝村市塙 |
1952.01
|
100
|
塩谷郡 | |||
昭和座 | 矢板町寿町869 |
1934.04
|
640
|
氏家劇場 | 氏家町2560 |
1930.05
|
600
|
塩原常盤館 | 塩原町692 |
1949.03
|
150
|
喜連川映画劇場(松竹館) | 喜連川町仲町27 |
1947
|
400
|
宝積寺劇場 |
阿久津村宝積寺2352 |
1949.10
|
500
|
玉生東宝映画劇場 | 玉生村大字宿683 |
1947.12
|
350
|
船生新生館 | 船生村大字長峰 |
1947.11
|
270
|
大宮新生館 | 大宮村大字下町 |
1950.05
|
230
|
那須郡 | |||
小川映画劇場 | 小川町2588 |
1950.05
|
500
|
新興館 | 馬頭町馬頭463 |
1941.07
|
460
|
馬頭クラブ | 馬頭町荒町105 |
1949.10
|
250
|
平和館 | 烏山町451 |
1953.06
|
350
|
アサヒ座 | 烏山町102 |
1953.06
|
230
|
太陽劇場 |
1946.12
|
800
|
|
西那須野劇場 | 西那須野町1 |
1951.02
|
300
|
平和館 | 狩野村南郷屋79 |
1935.08
|
700
|
野崎劇場 | 野崎村 |
300
|
|
宝来座 | 黒磯町磯原町206 |
1951.11
|
250
|
金剛館 | 黒磯町本町3-40 |
1942.02
|
800
|
東館 | 東那須野村大原間394 |
1935.06
|
350
|
高栄館 | 高林村高林374 |
1952.06
|
300 |
東毛座 | 川西町321 |
1912.10
|
400
|
黒羽東宝 | 黒羽町田町 |
1948.02
|
200
|
那須劇場 | 那須村湯本 |
1949.12
|
300
|
黒田原劇場 | 那須村寺子丙2 |
1947.06
|
350
|
伊王野倶楽部 |
伊王野村大字上町 |
1916
|
350
|
東映館 | 湯津上村佐良土 |
1950.02
|
350
|
阿蘇郡 | |||
葛生民映座 | 葛生町万町2424 |
1922.05
|
200
|
葛生映画劇場 | 葛生町2755 |
1947.01
|
500
|
新映 | 田沼町641 |
1948.03
|
500
|
足利郡 | |||
小俣座 | 小俣町田町5892 |
1921.08
|
850
|
御厨セントラル | 御厨町福居612 |
1947..03
|
400
|
葉鹿座 | 葉鹿町仲町448 |
1924.08
|
850
|
関谷山下の白湯山碑
関谷の大田原道(関谷道)を関谷小学校の脇から県道30号に出てくると、関谷上町交差点のT字路と多少のクランクになっている。
関谷上町交差点から愛宕山のつづら折に向かう旧道は1884年(M17)三島通庸が拓いた塩原新道。それ以前の塩原温泉へ道は塩原新道の北側を並行して愛宕山に向かっていた。塩原温泉に向かう取り付きは愛宕山を左に巻いた古屋敷から登っていく。この取り付きの坂は塩原電車(塩原軌道)でも利用されている。
その塩原新道沿いに並ぶ住宅の裏手に大田原道(関谷道)の道跡がある。関谷では別名「原道」と呼ばれた通りだ。当時の道沿いに関谷山下の石仏群が並んでいる。
石仏群の中にひときわ大きな関谷山下の白湯山碑 安政2年(1855)建立がある。高さが202㎝あり、当時の関谷での白湯山信仰の熱心さが偲ばれる。隣には同等の大きさの湯殿山碑。本家出羽三山信仰とそれを模した地元の霊場の碑が並んでいるのはいろいろと想像させられる。一生に数回しか行けないはるか遠くの出羽三山と、数十キロ圏内、関谷からも姿を望める那須岳の霊場白湯山。日常で直接目にして手を合わせられる親しみやすい存在であったのだろう。
石仏群にある道標 右 やまみち 左 塩原みち
前述のとおり、ここ関谷山下から塩原温泉へ向かう道は、愛宕山を左に巻いた古屋敷から登っていく。
麓の愛宕神社参道の鳥居の脇に小さな祠が集められている。
祠の一つに「白湯山大権現 相馬某」と彫刻されたものがあった。はたしてこれはもともとここにあったものか、それとも集落の熱心な信仰者の家に置かれていたものか。
黒磯初市2017
県北花市サーキットも終盤戦、第4土曜は黒磯駅前通りの初市。
黒磯駅西口を出て左手が露店、右手が初市広場というイベントスペースになっている。
黒磯初市は規模も大きく昔ながらの縁起物のお飾りや熊手、達磨もあって雰囲気も盛り上がる。・・といってももう1月も終わり近く、新春とか初売りって感じではないのだが。
冷え込みも一番厳しい時期だし、何かと出不精で毎年観に来れない黒磯初市であるが、今回は風もなく快晴に恵まれ、思わず出かけてきてしまった。
西那須野花市ではもうここ数年見かけることがなくなった唐辛子売りも健在。
土曜日開催もあってこの人出。子どもたちも楽しそう。
駅前右手はイベント広場。地区や有志がブースを出している。ナスライガーが献血への協力を呼び掛けてた。おつかれさまです。
一番奥はカラオケ大会。大人たちも楽しんでる!!夜も来てみたいなあ。