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がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

萬人風呂霞上館

塩原袖ヶ澤温泉にようこそ

辻潤が宿泊した塩原萬人風呂霞上館のことを調べはじめてしばらく経つが、当時の宿泊のしおり「塩原袖ヶ澤温泉案内」を入手したので、その内容を元に萬人風呂の詳細を紹介していく。 萬人風呂霞上館があった谷地の沢を袖ヶ沢というので、当時は「袖ヶ澤温泉」…

袖ヶ沢温泉 万人風呂霞上館より

先日、古本屋で万人風呂霞上館で販売してたと思われる絵葉書セットを入手した。 彩色した天然色バージョンの絵はがきよりも、白黒のままのほうが細かい部分まで確認できる。でっかい画像はここに。 専用道路見晴臺ヨリ畑下戸門前古町ノ遠望 現在の畑下付近 …

万人風呂と遊園橋、遊園道

青葉通り沿いの小太郎ヶ淵入り口前から箒川の渓谷に下りていくつづら折の道がある。専売公社(JT)の塩原寮が途中にあるこの道が「遊園道」だ。 これは90年代の住宅地図に着色したもの。オレンジが青葉通り予定線、黄色が万人風呂に向かう道路として開削…

万人風呂 霞上館跡の2

当時塩原は、華族・皇族らセレブが別荘を構え、文士や芸術家、実業家がこぞって訪れるリゾート地であった。「万人風呂 霞上館」は大正の末にオープンした温泉施設で、箒川流域に点在する塩原七湯からは奥まった山あいにあったという。建物の前には小船を浮か…

万人風呂 霞上館跡の1

以前上げた記事で「辻潤が塩原に来たときのこと」というのがあるのだが、その中で間抜けな勘違いをしていることに気づいた。 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん ダダイスト辻潤が1935(昭和10)11月に塩…

辻潤が塩原に来たときのこと

1935(昭和10)11月、辻潤が塩原に来ている。辻潤51歳のときである。 精神病院の入退院を繰り返し、貧窮の生活のなか全国のファンを頼って放浪し、金に困ると虚無僧となり、尺八を持って門付して歩く日々。愛人の松尾としとのどん底の生活。辻と松尾は、塩原…