会津中街道交流会の第2回シンポジウムで三斗小屋温泉に宿泊した。中学生の野外学習以来、30年ぶりの訪問だ。
三斗小屋温泉は、康治元年(1142)、奥州信夫郡信夫村の生島某という人物の夢枕に「大黒天」が立ち、そのお告げにより発見したという。長らく黒羽藩領の「西の湯」として知られていたが、会津中街道に人馬の往来があった頃は湯治と白湯山信仰の行者で賑わった。しかし慶応4年(1868)戊辰の役で三斗小屋周辺は戦場となり灰燼と化した。翌年明治2年(1869)に再建された建物が今も現役の大黒屋本館なのだ。
明治2年当時、三斗小屋温泉には大黒屋、柏屋、三春屋、佐野屋、生島楼の五軒が営業していたという。この限られた平地にどうやって五軒も?明治44年(1911)頃、黒磯駅前で営業していた煙草屋旅館の支店が進出、現在は大黒屋、煙草屋の二軒のみとなっている。またかつては遊廓さえあったという。
この2階の低さとか手摺りの感じとか、たまりません。部屋は障子戸だけでガラス戸なんてない。雨風強い日はどうするんだろう?
「三斗小屋温泉誌」より
三斗小屋温泉といえばこの写真。キャプションの「大黒屋に設けられた」というのが気になっていた。この仮社務所があったのは本館の一段上、現在の「別館」が建っている場所とのこと。温泉付きならお山も楽し。お行明けの精進落としが楽しみ!
建物の中もまた見所多し。探検探検!きしむ階段、二階の足音が聞こえる。
140年の風雪に耐えてきた黒光りする柱や梁。あ、でもこの天井はさすがに塗装の色でした。
シンポは街道の話だけにとどまらず、興味深い話が色々と聞けた。
明かりは灯油ランプと自家発電の裸電球。9時消灯前にはチカチカと「キ・エ・ル・ヨ」の合図。
布団は羽毛で快適。トイレだけは設備が新しくて水洗だった。
ひなびた木造りの浴槽。足腰の疲労が解け出していくよう、これぞ温泉力。温泉神社祀る理由が今なら理解できる。かつての入浴法を調べてみると、浴槽にかけ渡した棒に足を乗せ、槽の縁を枕にして体幹だけを湯の中に入れて入浴していたそうだ。これは長時間入浴でののぼせを防ぐための工夫だ。
当時三斗小屋温泉と那須湯本温泉は花柳病に効果がある温泉として有名で、湯本温泉と違い湯ただれしないことが売りとなったいた。医療技術が未熟で湯治による温泉治療が頼りだった当時、抗生物質による治療が始まるまで成す術のなかった病まで治すこの温泉の効力は、原因不明の病で悩む多くの人々を救ってきた。
男女1時間交代。「あと5分で出てください」とかせわしいけど、雰囲気出るねえ。