がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

那須嶽開山祭2015の2

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那須嶽開山祭、頂上での式典のあと、那須修験道昇龍講の皆さんについて那須岳の拝所を巡る。
「ノゾキ」の岩塊から東へ120mほど行ったところに、亀裂が入りトンネルになっている大きな岩塊がある。「胎内くぐり」だ。

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ザックを下ろして岩塊の下側に降りる。

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この下は崖なんで、現地行かれる方は気をつけてください。

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岩の空洞をくぐり抜け 出生を追体験することにより 穢れていない清らかな姿に生まれ変わることができる。穴から出てくる時は「おぎゃあー!!」と絶叫のこと。

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かつての白湯山/高湯山信仰には、毘沙門ヶ岳=朝日岳方面に「胎内くぐり」という拝所が、また御沢にも「胎内くぐり弁財天」という拝所があった。

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ここから朝日岳方面へ向かう。

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尾根道の先に峰の茶屋跡避難小屋が見えてきた。峰の茶屋は風の通り道として有名だ。西の三斗小屋方面から吹き上げてくる風が集まる場所で、特に冬場は風速40mになることもある。

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峰の茶屋跡避難小屋の横に立つ牛守護大日尊碑の前で法螺。この石碑は道標になっている。

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峰の茶屋の牛守護大日尊
[正面]
  昭和二年十一月吉日
牛守護大日尊
  發起人 根本勘作
      髙根澤峯次郎
[右]
右 三斗小屋温泉道 二十八丁
左 頂 上 道   十丁
  飯盛温泉道  二十丁
賛助 那須硫黄鑛山株式会社
  願主 小平 濱次郎

かつて那須岳で硫黄を採取していた時期があった。古くは黒羽藩の大関増裕藩主時代、その後は民間によって採取は続けられた。那須硫黄鑛山株式会社は明治41年以降昭和30年代まで茶臼岳で硫黄の採掘採取を行っていた企業で、山仕事の無事を祈るためにこの場所に大日尊を祀った。

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峰の茶屋の西側には「地獄平」と呼ばれるゴツゴツした小石の転がる平地が広がっている。この先劔ヶ峰を越えて朝日岳に向かう。

 

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剣が峰東側の谷が2か所ほどまだ雪渓に覆われていた。斜度は40°ぐらい。地下足袋で雪面トラバース。

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俺はいつものスパイク長靴 滑落したら金剛杖では止まれない。イカンヨ。

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劔ヶ峰を過ぎる途中に「恵比寿大黒」と呼ばれる2つの巨大な岩が立っている。かつてはもう一つの岩が立っていて、この3つの岩を指して「三面大黒」と呼んだ。しかし岩がひとつ崩れてしまい、残りの二つの岩のことを「恵比寿大黒」と呼ぶようになった。「創垂可継」の高湯山由来には、弘法大師が仏法僧の三宝の意味を込めて三面の大黒を勧請したとの記述がある。

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この先恵比寿大黒から朝日岳に向かう途中に「胎内くぐり」と呼ばれる岩穴があったが、現在は崩れてしまって現存しない。

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朝日の肩

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朝日岳頂上へ

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朝日岳頂上で法螺

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朝日岳は、白湯山/高湯山信仰では「毘沙門」とか「毘沙門岳」と呼ばれている。 驚くほど風がなく最高の修験日和だった。俺はといえばすぐに息が上がり膝はパンパン。今度は三山掛けに行こう、と声をかけられたが基礎体力から立てなおさねば ついていけないな・・。

参考:「高湯山信仰」廣本祥己 、「那須温泉史」ほか

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那須嶽開山祭2015

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今年も性懲りもなく上がってきた。けして俺は「趣味は山登り」などとほざける輩ではない。去年も茶臼岳は片手も来ていない。ただ単に那須岳が好き、那須岳の頂上に那須岳好きの仲間が集うこの日、開山祭が好きなだけなんだ。

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那須岳はかつて山岳信仰の山で、湯本口側は高湯山、三斗小屋口側は白湯山と呼ばれていた。5月8日は嵐除け・農業神としての御利益がある高湯山信仰、後の那須嶽神社の開山祭で、各地から梵天を担いで神社に奉納する行事が行われていた。現在は那須温泉神社奥宮(那須嶽神社)で今シーズンの登山者の安全祈祷が行われる。現在の閉山祭は11月9日で、以前は旧暦の8月9日だった。

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先達を務める山伏は「那須修験道昇龍講」の方々。 先達とは、参拝者を連れて山の霊場を案内するガイド的役割のこと。高湯山の先達は観音寺といい、檀家を持たないで村民の祈祷を行う里修験であったという。

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今回は佐貫観音奥之院 平成のご開帳でご活躍された福聚山東海寺の渡辺副住職もご参加されている。俺はこの辺ですでにへばってヒィヒイ言ってる。

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鳥居の手前で手ぬぐいを渡され、石を頂上に運ぶ役割を任される。

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ぞくぞくと頂上に集まってくる登山者たち。盛り上がってまいりました!!

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宮司さんの祝詞がはじまる。

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関係団体が続々と玉串を奉納していく。今年はよい天気で風も吹くこともなく 最高のコンディションで無事開山式は終了した。


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開山祭のあと、那須修験道昇龍講の皆さんと拝所を回ることに。茶臼岳は白湯山/高湯山信仰においては「月山」と呼ばれている。白湯山/高湯山信仰は出羽三山湯殿山・月山・羽黒山)の信仰を勧請したものなので、拝所の名称や形態を模倣している。

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お鉢に降りる尾根から頂上

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頂上からお鉢

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茶臼岳頂上からみて北にある岩塊の上に移動。那須修験道の方々はこの拝所を「ノゾキ」と呼んでいる。

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修験道では、断崖絶壁から身を乗り出したり、あるいは逆さ吊りになって奈落を見下ろし恐怖を味わうことで、今までの罪を懺悔する行を「ノゾキ」という。

つづく

本宮宿南 追分の道標@本宮市

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奥州街道沿い本宮宿南町の追分

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普度供養塔 天保14年(1843)
[正面]
  右 あい津
普度供養塔
  左 江戸
[右]
施主 大内良忠恕信
[左]
天保十四卯年十月
       十七日

普度はすべての者を救う「衆生済度」が仏陀を意味する「浮屠」を表していると考えられ、旅の安全を祈って建てられたもの。明治16年(1883)の道路改修までは、奥州道中会津街道が分岐する観音堂北側に建てられていた。その後数か所を経て平成22年に現在地に移設された。大内良忠恕信は本宮南町の当時の名主。

 

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太郎丸供養塔と 小沼幸彦の歌碑

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太郎丸供養塔
正安3年(1301)に建てられた供養のための塔婆で左三分の一程度が欠けてしまっている。この碑は文化13年(1816)5月、日記沢に行く道筋で発見された。国学者 小沼幸彦は「岩井の清水」への道しるべであると考え「岩井考」を書き遺した。

旅人よ岩井の清水見むとならば このいしふみをしるへしてゆけ

 

参考:現地案内板

 

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本宮映画劇場@福島県本宮市

福島県本宮市アサヒビールの工場見学に行った。そのついでといってはなんなのだが、市内にある本宮映画劇場の見学を予定にねじこんだ。

奥州街道沿いメインストリートにある銀行の駐車場に車を止める。その裏手 路地を入ったところに目的の建物は立っている。ネットでみたピンク色のあやしい洋館、本宮映画劇場。ついに来たんだ!

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本宮映画劇場の建物は1914年(大正3)芝居小屋の本宮座として建設された。木造3階建ては当時でも近代的な建築。地元の人からは「定舞台(ジョウブデイ)」と呼ばれていた。福島県教育委員会による日本の近代化の足跡を示す産業遺産の調査対象になった建築物だ。

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開設当初は芝居や踊りなどが行われ、その後 映画や歌謡ショー、地域の演芸大会などにも使われた。戦後は映画館として営業、昭和30年代前半までは数多くの映画が上映され賑わった。しかしテレビの普及で客足が遠のき、1963年(S38)に閉館した。70年代までは時折映画を上映することもあったが、その後はそれもなくなったそうだ。

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さっき銀行の駐車場に停めた時にすれ違ったおじさん、無断駐車で怒られるのかと思ったら、年配の方を連れてこちらに来る。幸運にも劇場の関係者の方だった。本来は事前に連絡しないと劇場の中を見ることは出来ないのだが、たまたま映画館に向かう我々を見つけて建物を開けてくださった!

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映画館を閉館後、経営者の田村さんは自動車会社に勤めるのだが、退職後また劇場を再開させることをあきらめず 劇場と映写機の手入れを40年以上ひとりで続けた。また別の閉館した劇場からもフィルムや機材を地道に買い集めた。平成20年(2008年)に45年ぶりの映画上映会を開催した。

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かつては旅廻りの一座の公演なども行われたそうで側面はその楽屋があった付近。劇場の後ろにお住まいのおじさんによると、梅沢富美男が小さい頃、梅沢一座がこの劇場を訪れ公演したのだとか。三波春夫もこのステージに月イチで立っていたそうだ。

 

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本宮映画劇場がある土地はかつては廃寺があったらしい。当時皆が集える施設を、ということで本宮座が作られたのだそうだ。この巨木はその頃からずっと見守ってきたのだろうか。

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正面入口を入ると館長の田村修司さんが出迎えてくれた。御歳78歳。先日もNHKの取材があり(爆笑問題の「探検バクモン」)、また他の取材が来るので映写機の調子を見に午後から来るつもりだったそうだ。我々の来訪を聞き早めにいらしてくださった。

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ロビーには収集した懐かしいポスター

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田村修司さんのお父さんの寅吉さん。この時計の前で撮ったもの。昭和18年に寅吉さんが経営者になり戦後は映画上映が中心となった。


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映写技師も兼ねる田村修司さん、 いろいろお話を聞かせていただき、さらにフィルムの映写までして頂いた。

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昭和30年代に活躍したカーボン式映写機。炭素棒に電流を流しスパークさせた光を映写用の光源にするというもの。炭素棒が燃えているうちにカーボンがずれて画面が暗くなってくると 手で動かして明るさを調整する。使いこなせる技師がもういない年代物だ。

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ホール内の様子

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今はベニヤでふさいであるが、2階3階と座敷席が存在した。

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当時の様子、スズナリの観客。まさに娯楽の殿堂。

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ステージにはかつては回り舞台(盆回り)があったという。それでは用意が出来たそうなので上映会。

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当時の予告編のフィルムを繋いだもの

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すいません 今日は映画泥棒をお許しください。

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78歳になる劇場主の田村さんは都築響一さんや柳下毅一郎さんの話をまじえながら まだまだ語り足りないという感じ。都築響一さんの「独居老人スタイル micro nirvana」で紹介されたおかげで田村さん、本宮映画劇場のファンが全国からやってくる。かく云う俺もその一人だ。

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福島にはあと2つ古い映画館の建物が奇跡的に残ってる。南相馬の朝日座、そしていわき湯本温泉の三函座だ。田村さんにそれらの映画館の話をしたら「あれはもう廃墟だろ?こっちは現役だ!」とおっしゃっていたので最近の状況を伝えたら「負けてられない」とアツく語っておられた。引き続き活動を見守っていきたい。


本宮映画劇場
福島県本宮市本宮中條 9

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参考:新聞記事等

アサヒビール福島工場@本宮市

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GWなのだ!子どもの日なのだ!家族サービスのふりして呑みまくるの巻。

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そういえばウィルキンソンアサヒ飲料の製造なのだった!当然買い!

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たしかにかつてのビールの王冠裏にはコルクが張られていた。コルク材を確保するためアベマキ(コルクスギ)の自生する20ヘクタールの広大な山林を所有していた。

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竣工当時の本宮町の様子 旧国道沿い?ということは旧奥州街道のあの通りだ

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ペプシミリンダは今はサントリーグループだけど当時は??蛇の鼻遊楽園が気になるる

www.janohana.com

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ビール園へゴー!

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大満足な一日!!本宮と言えばアレ!気になってたアレ!行ってみるく!

garitune.hatenablog.jp

 

金魚湯こと玉川の湯@栃木市室町

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栃木市室町、明治22年創業の銭湯。 屋号は「玉川の湯」だが、壁に埋め込んだ水槽の金魚が名物で「金魚湯」の名のほうが有名に。

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このたたずまい、よくぞ残っててくれた!!

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木札の下駄箱に靴を入れて中へ

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お昼時で先客はひとり。おかみさんにお願いして中の撮影をさせていただいた。

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格子天井!たまりません。

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男女の仕切りの真上で天狗様が荷物荒らしを見張っている。

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そして浴室に潜入 浴室は近代的

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これが噂の金魚水槽 いいなあ。

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カッパ天国ですよ。日帰り温泉とはまた違うほっとするお風呂。いつまでも残ってほしい。2階!!見てくるの忘れたっ!

玉川の湯(金魚湯)
栃木県栃木市室町3−14

こちらは既に閉店してるようだ。

大田原六つ蔵新酒自慢の味発表会2015

 

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大田原六つ蔵新酒発表会に来ている。大田原自慢の農産物や特産品を肴に、大田原市内の六つの酒蔵、池島酒造、菊の里酒造、天鷹酒造、平山酒造、鳳鸞酒造、渡辺酒造の新酒を気がすむまで味わうことが出来るイベントだ。

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受付でグラスか杯を受取り会場に。純米、大吟醸クラスが呑み放題のイベントなので、日本酒好きな輩がわらわらと。

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津久井市長あいさつ

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エントリーされていた種類すべて試飲させて頂いたが、次の日も特に二日酔いにはならなかった。悪酔いの原因は添アルなのだなあ。昔の職場の仲間や従兄にも会えたりして楽しい試飲会だった。 そんなわけで地酒で乾杯!!