がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

会津中街道 奥州駒返坂と下野駒返坂

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会津中街道中絵巻 部分

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会津中街道 観音沼から2.5キロほどアスファルト舗装された林道を行くと、「奥州駒返し坂」の説明板が設置されている。北側の斜面を上がっていくと元禄8年に建てられた「奥州駒返坂の碑」がある。

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奥州駒返坂の碑

旧道は野際新田宿を出て、林道を左側に逸れ、つづら折でこの碑の処まで上がってきたという。実際の旧道は現在の林道と付いて離れて、少しずつ高度を上げていったようだ。前述の会津中街道中絵巻にも「奥州駒返坂」の表記の脇に「山神」とお社の図とともに「奥州駒返」と書かれた石碑が描かれている。これがこの奥州駒返坂の碑と思われる。

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会津中街道中絵巻には下野側にも同様に「下野駒返坂」と書かれている場所がある。

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会津中街道中絵巻より

三斗小屋新宿を過ぎ、にを澤(湯川)を渡り長いつづら折の坂を上る。ここに「下野駒返坂」と書かれている。つまり下野駒返坂とは麦飯坂のことだ。
沼面原(沼っ原)の文字の左側に「山神」と「下野駒返」と書かれた石碑、お社の図が。もしこの絵図のとおりなら、下野側にも街道の開削当初に「下野駒返坂の碑」が建立されたのではないか。今のところそれらしき石碑は見つかっていない。

この付近は湿地帯であり何度も道筋が変わっているであろう。沼っ原湿原は、明治から昭和20年頃にかけて軍用馬の放牧地として利用されていたという。


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那須野写真帖より

那須野写真帖」は昭和初期大田原町の写真館が作製した県北の町村の主要な施設や名所を網羅した写真集。三斗小屋宿とその周辺のトピックも思いのほか取り上げている。その中に見つけた写真がこれだ。キャプションに「竹の柱に笹の屋根 手鍋下げても、という麦飯坂上の生活」とある。まさに昭和初期の沼っ原湿原周辺付近の様子なのだが、多分炭焼きを生業として暮らす人達の仮小屋を写した写真なのではないか。百村山麓から板室、三斗小屋の旧道沿いのそこかしこに炭焼き窯跡の穴が散見される。