以前から気になっていた烏山の舟戸のやなに来てみた。やなに渡る一本橋が長く、狭くて怖いという話、前に書いたような。
烏山の中心部の南、那珂川が右に大きく蛇行する付近が野上で、河岸段丘を降り下野大橋のY字路を直進、橋のたもとに舟戸のやながあるはずなのだが。
ここで間違いないようだが・・。看板が・・。
店の中にいた店主さんに聞いてみると、舟戸のやなは4年ほど前から営業していないとのこと。バーベキューハウスとして、この秋オープンを目指し改装中。川岸をみせてもらう。
賢治ファンです。
以前やなのあった場所。この辺は鮎釣りのポイントなので、下野大橋下から多くの釣り人が河原に降りている。
江戸時代、烏山には3つの河岸があったという。烏山、大沢、野上がそれだが、この舟戸のやなこそ、野上河岸があった処であろう。野上河岸といえば、会津藩の廻米を扱っていた記録の残る河岸であり、会津街道~阿久津・板戸河岸鬼怒川舟運ルートとは別に、関街道~那珂川舟運ルートが存在したことになる。ちなみにもう二つの河岸、大沢河岸は土木遺産の境橋付近、烏山河岸とは滝田河岸のことで、ファミブの脇から川に降りた辺りのようだ。野上河岸は昭和の始めまで営業していたらしいが、昭和13年の大洪水により当時の面影はないという。
以前の舟戸やな
舟戸というくらいだから、野上と向こう岸の下境を結ぶ渡しがあった場所だろうか。下境側の下野大橋のたもとには水神らしき石碑が祀られている。これが下境渡船場跡とのこと。「烏山町史」が発行された昭和53年(1978)にはまだバリバリで渡船が運行していたようだ。また、ここから8kmほど下流に那珂川最後の渡し(生井の渡し)が2003年まであったとのこと。
烏山付近には他にも矢沢、落石、高瀬、一ツ石などのやなが存在する。いつまでもこの風物詩が見られることを願う。